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「きみは、きっとまだ、夏にいるのよ」

スーパーで買っておいたシュークリムの甘さで、舌の根がおぼつかなくなった。


甘さ控えめのもので、ぼくはそれが好きで、味も変わっていなかったのだけど。


口の中で、舌を動かしてみても、なんだか変な感じがした。

――疲れ……疲れるようなこと、あったっけ。

――いつも疲れているようなものじゃない。

――……おはよう、アルネ。

――おはよう。シュークリーム、わたしにも頂戴。

どうぞ、と手渡すと、齧った瞬間から、アルネは頬を緩ませた。


ぼくにしか見えない、ぼくだけの女の子。

――それにしても、珍しいわ。起き抜けになにかを食べているなんて。

――んん……お腹空いた、というより、なんか、ふらふらして、食べないといけないような気がして。

――昨日の晩ごはんは? 食べたの?

――食べた、と思う。

――覚えていないの?

――いや、食べたよ。思い出すのに、時間がかかって。

――……。

――ごめんね。最近、いつもより、ぼんやりするような気がして。

――ううん。ねえ、まだ飲んでいないコーヒーがあるの。今朝は、それがいいわ。

――どれだろう、カフェインレス?

――うん。

――いいよ、ちょっと待ってて。

考えてみれば、コーヒーを飲んでも、頭がはっきりしないのは、おかしな話だ。


カフェインレスは、その名の通りだけど、いつもは、それ以外のものを飲んでいる。


決して、量は飲んでいないけど。でも、少量でも、覚醒するものなんじゃないかな。


ぼくの場合、量を摂りすぎると、ひどく落ち込むけど。

――はい、どうぞ。

――ありがとう。……なんだか、ふしぎな味。

――ね。まだ、淹れるのも慣れてないよ。

――カフェインレスじゃないものと違うの?

――なんとなく。

――……。

――……。

――きみは、きっとまだ、夏にいるのよ。

――?

――だんだん寒くなればよかったけど。突然だったから、きみはまだ、秋のところまで来れていないのよ。

――……季節に体が追いついてないってこと?

――まあ、そうね。

――……そうだね。ただでさえ、ぼくはとろくさいから。そうか。

――きみは、ずっとぼんやりしているけど、

――うん。

――ぼんやりしていた方が、穏やかなときもあるんでしょう。

――……うん。

――大丈夫よ。

――大丈夫……。

――大丈夫。

――……うん、ありがとう。アルネ。

ぼくは、アルネのことばを何度も咀嚼した。


自分に言い聞かせるように。


ぼくが不安定なのは、今に始まったことじゃないから。


だから、逆に、安心していいのかな。


飲んでも目の覚めないコーヒーをすすりながら、そう思った。

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