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感情が次々しんでいく。

覚醒時、体がまったく動かなかった昨日。就寝中の歯ぎしりにより、違和感のひどい顎。布団の中からパートナーを見送り、やっと体が軽くなった頃には、10時を回っていた。


感情がしんだ気がする。何日もコーヒーを淹れていない。推しのMVの発表に心躍らない。今現在の情勢により、感情の凹凸が激しかった一昨日。冷静になったぼくは、感情の起伏がまったく無くなっていた。極端すぎる。


「それでも、寄付はしたい」のこころは残っていたので、起床。銀行までの通り道に神社を発見。思わず立ち寄る。


土地の神様に世界平和を願うのは、お門違いだとはわかっていた。でも、頭の中で念じ始めたとき、ふいに強い風が吹いた。誰かが現れた気さえした。誰もいなかったけど。偶然で片付く出来事が、ぼくには奇跡のように思えた。


肝心の銀行。寄付先は、昨日ツイッターで見かけた在日ウクライナ大使館。名前の入力で、ぼくが入力したもの。「ウクライナニヘイワガモドリマスヨウニ」。たぶん、誰も気付かないと思うけど。それでも、なにかを伝えずにはいられなかった。自己満足だけど、それでいい。

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その後寄った図書館で、先日見かけた『戦争は女の顔をしていない』がなくなっていた。トルストイの『戦争と平和』も。どうやら、ぼくと同じ考えの人がいたらしい。


結局他の、ロシア出身の作家から3冊借りた。その中の1冊が、ロシア未来派の詩人・マヤコフスキーの『戦争と世界』。

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「戦争よ!
もうやめてくれ!
あんたがやめさせてくれ!
もう大地は丸裸なんだ」

――第三部p51より引用

ロシア兵も、ロシアの人達も、全員が戦争を望んでいるわけじゃない。WWⅠも、WWⅡも、もしくはそれより過去の戦争も。考えれば考えるほど、ますまこころがしんでいく。


図書館脇のベンチに落ち着いたぼくは、持参したポメラに頭の中をぶちまけた。日記として。(つまり、この記事の下書きを。)書くだけ書くと、少しだけ安心した。


ふと、近くのイベントスペースで、知人になったコーヒー屋さんが出店しているのを思い出した。顔を出すと、店主はいつもと変わらない様子。安心する。そのときは、客がぼくしかいなかったので、コーヒーのもろもろを教授してもらう。


やはり会話は大切らしく、帰るころには、人間らしい感情が少しでも戻った気がした。気がしただけかもしれないけど。


まだ、元気とはいえないけど。でも、少しずつ癒えるんだろう。けれど、ぼくの痛みなんか、後回しでいいから。癒えるべき人に癒えてほしい。どうか。どうか。誰でもいい。ぼくなんかの願いを叶えて。


#戦争反対
#нетвойне 

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