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なにもかも、ずれている日に、

すずしくなったことに、むしろ、少し恐ろしくなった。昨日の朝のこと。「だんだん」とか、「じょじょに」とか。そんなものを忘れてしまったのか、天気よ。いや、すずしくなったのは、助かるんだけど。


天気のせいなのか、わからないけど。ぼくがずれているのか、世界がずれているのか、よくわからない日だった。


電車で30分くらいの、ぼくにしては遠出をした。久しぶりだったり、あんまり久しぶりじゃなかったり、そんな人達に会った。端から見れば、なにも不審なことは、なかったと思う。これはたぶん、ぼくの問題だ。


誰と話しても、会話が噛み合っていない気がした。内容はさておき、きちんと受け答えができ、滞りなく進んでいたことを思えば、会話に問題はなかったはずだけど。そう感じたのは、どうしてだろう。なんだか、ずっとぼんやりしている。


問題なく、とはいったけど。耳を傾けていたはずなのに、上手く咀嚼できず、返答に窮することもあった。返答しても、その答えが、なんだかずれていることもあった。(すべて、後からふり返って、感じたことだけど。)


上手く会話ができないなんて、珍しいことじゃない。けれど、昨日はなんだか、上手くできなかった、その思いが強かった。


それで、落ち込んだわけじゃない。多少の申し訳なさはあったけど。誰かと別れる度、リセットボタンを押されるみたいに、顔から表情という表情がすべて消える。のを感じる。


その度に、自分が考え話していたことは、本当にそう考えていたのか。ただ合わせてばかりじゃなかったのか。わからなくなる。


嫌いな人間を遠ざけ、好きな人達と関わっているだけでも、八方美人は成立するだろうか。するだろうな。自分の意見を、たとえ軽率に否定されても、即座にごまかしてしまう。機嫌を損ねたくないがゆえに。おかしいな。人に合わせすぎるのは、止めたはずなんだけど。むずかしいな。


帰りの電車の中、いつもよりずっと、読書がはかどった。わかりやすく、逃避だ。自業自得で付いた傷を、自ら嘗める。バカだと思った。


「夜は外食がしたい」というパートナーのリクエストにより、その日は夕食を作らなかった。その時間で、なにかしようとは思ったけど、結局ぼんやりするばかりだった。


昔々、人のために生きる仕事をした。その「人」に侮辱され、ついでに同僚にも侮辱された。苦手だった他人が、さらに苦手になった。やがて、まったく別の仕事をした。それでも、他人がいるというだけで、体を壊した。そして、仕事ができなくなった。


ぼくは今、自分なりの仕事を模索しているけれど。人は、どこでも付いて回ってくる。それでも、ぼくは仕事ができるだろうか。ずっと、考えている。

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