どうして、他人がいる場所で息ができるの
会社は、他人がたくさんいるところ。
だから、会社では働けない。
そう、最初に言われたのが、もう4年は前か。
職種を変えれば、大丈夫なんじゃないか。
と思ったのも、それくらいか。
実際は、まったくだめだったけど。
だからぼくは、会社では働いていなくて。
(アルバイトも、パートナーに止められているくらい。家族に就職を心配されるとか、珍しいことだと思う。)
珈琲屋は、始めたけど。
まだ、自分のペースを掴めていないから、人前で淹れるのは1回か2回。
昨日は、ボランティアに参加した。
月に2回か3回、図書館に行く。
たったの1時間だけど、それでもぼくは、それなりに疲弊するらしかった。
(参加すると決めたのは、ぼくだけど。少しでも、他人がいる環境に慣れたくて。)
午前にボランティアに参加し、午後はほとんど眠っている。いつものこと。
昨日も、昼にも関わらず、ぐっすり眠ってしまった。
幸い、悪夢は見なかった。少なくとも、体がひどく緊張して、目が覚めたときには痛くなっているような夢は。寝具を見直したおかげかもしれない。
たったの数時間とはいえ、今は、日が落ちるのはあっという間だから。
目を覚ましてすぐは、状況を理解するのに時間がかかる。わかっているのは、喉が渇いていることだけ。
白湯をすすって、熱に触れて、だんだん現実に近付いてくる。
頭は、変わらずぼんやりしたまま。
覚醒しているのに、意識が定まっていないような、妙な感覚。
布団は敷きっぱなしなのに、フローリングの床の上に座り込んで。
足は冷えていき、ぼくは肩にかけている毛布を、より着込むように、体に巻き付けて。
ぼくが、社会に適応していなさすぎることを憂う。
完全に適応している人はいない、とか、そういうのはいい。
決まった時間に起きて、決まった場所に働きに出て。
それができるのが、どんなにすごいことか。
「そんなことないよ」と言われるのが、どれだけ辛いことか。
年々増える薬でも、ぼくをまともにはしてくれない。
(薬は、人をまともにしてくれない。ただ、少しだけましにしてくれるだけ。)
ぼくの、努力や我慢が足りない? そうかもしれない。
ぼくを生んだ人間の顔が浮かんで、数年は会っていないから、ぼやけて消える。
ぼくをだれより、なじってきた人間。
うるせえな。
だれのせいだと思っているんだ。
他人のせいにして。
ぼくは、ぼんやり生きている。
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