「ぼくの人生に、あいつが入り込む余地がなくなったのは、たしかだった。」
パートナーと、お昼ごはんを食べに行った。
山の方にある、知人がやっている小さなお店。
途中で、ぼくをいじめていた奴が来た。
5年以上前に勤めていた職場の同期。
(なんなら、専門資格を取得するための学校でも一緒だった。)
ぼくは、気付かないふりをした。
向こうが、気付いていたかどうかは、知らない。
(そもそも、ぼくを覚えていないかもしれない。)
ぼくは、驚かなかった。
ぼくとパートナーとは、少し離れた席に案内されていた。
そいつは、夫と子どもを連れていた。
あんな人間でも、親になれるのか。
そこは、驚いたけど。
ぼくは、自分でも驚くほど平静だった。
だから、一番驚いたのは、自分に対してなのかもしれない。
平静を保っていた、とかじゃなく、本当に平静だった。
同じ空間にいて、不快なのは不快だった。
でも、それで目の前に座っているパートナーが、ぼくの様子を気遣ったりとか、そういうのはなかった。
だから、顔色すら、変わらなかったのだと思う。
店長である知人が、また今度(ぼくが淹れた)コーヒーを飲みに行きますね、と言ってくれ、ぼくらは店を後にした。
ぼくは、やっとあいつと離れることができた、とかも思わなかった。本当に、どうでもよかった。
でも、
「あとから来た、親子連れ。女の方は、昔、ぼくをいじめていた奴だよ」
帰りがけに、パートナーにそう言ったぼくは、少しでもある不快感を軽減したかったのかもしれない。
パートナーは、理解するのに時間がかかっていたみたいだったけど、内容が内容なので、憤慨していた。してくれた。ぼくがいたって平静だったので、すぐに落ち着いてくれたけど。
あのころと、味方が一人だっていなかったころとは違うのだと、改めて思った。
パートナー、珈琲屋のこと、新しく勉強していることで、今のぼくの頭は、いっぱいになっている。もしくは、薬のおかげもあるのかもしれない。
当時は、そして、それから数年は、いかに復讐しようか、みたいなことを、ずっと考えていたけど。
そして、べつに、あいつを許したわけではないけど。(なにせ、ぼくが仕事を辞めた原因の一つだ。)
ぼくの人生に、あいつが入り込む余地がなくなったのは、たしかだった。
よかった。
少なくとも、あいつのことで、歯を食いしばる必要はなくなったんだ。
ぼくを生んだ人間とは……まあ、数十年かけた呪いだから、どうしようもないけど。
でも、どうしようもないと思っていたことが、そうでもなかったことが、一つでもあったこと。
それは、ぼくをしばらく生かしてくれそうだ。
よかった。
くり返し、思う。
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