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本を読み終えた話と、少しだけ七夕の話

唐突に終わった。


ように思えた。


いや、本の終わり方としては、そこで終わって、申し分なかったのだ。


ただ、もう少し頁数があったから、後日談があるのだと思っていた。


なので、次の頁をめくって、引用文献一覧を目にしたとき、頭がなかなか切り替わらなかった。


一覧は見開き2頁で、あとは訳者のあとがきだった。


よくあることでは、あるんだけど。


なんというか、油断していた。


……。


油断、で合っているんだろうか。


少々ぼんやりしてから、あとがきも読んだ。読み終えた。


1冊の本を読了するのは、いつぶりだろう。


読了本より、積読本の方が多いのは当然なのだけど。


いつぶり、というほどでもないのかな。


じゃあ、前回読み終えた本は何かと訊かれれば、困る。


読みかけの本は、いくらでも出てくるのだけど。


それにしても、充足感がすごい。


たぶん、読み終えることの方が少ないからだろう。


同時並行で、何冊も読んでいるのだから。


(途中止めになって、何年も経っているのも、同時並行に含めていいのであれば。)


パオロ・コニェッティの『フォンターネ 山小屋の生活』。

ぼくは、読み終えた本を、言語化することが少ない。


2年か3年前までは、読み終える度に、noteに上げていたけど、それも止めてしまった。


言語化自体が下手なのだから、練習しようかな。まずは、読書感想文から。


と思い、メモ帳に万年筆を走らせたのだけど、どうも上手くいかない。


感想より先に、自分の子ども時代について書いていた。


人付き合いが苦手なのは、幼いころからで。


加えて、田舎の、それも狭い狭い部落にいたから、友達を選べなかった。


それでも、小学校である程度の学年になると(きっかけは忘れた)少なくとも学外では、「友達」に付き合わなくてもよくなった。


近所の川べりに座ったり、農道を歩いて、祖父母の畑まで行ったり。


そういうことの方が、好きだった。


なんというか、根っこのところが、今と一切変わっていないのだな、と思った。


ここまで書いたのに、やっぱり、本の感想に行き当たらない。


感想って、むずかしいな。


面白かったところを抜き出して、「面白かった」と言えば、感想になるんだろうか。


……。


そういえば、昨日は七夕だった。


七夕らしいことが何かわからないけど、何もしていない。


でも、近所のコンビニと、市立図書館の笹には、すでに短冊を吊るしていた。パートナーと一緒に。


お互い、毎年願いごとも一緒だ。


しばらくは、それで笑える気がする。


あと、本を読み切ったことも。


今日は、余韻に浸る日にしよう。


と、今決めた。

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