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不安定なぼくと、水を見ること

たくさんの水を日常的に目にするのは、人間にとって大事な意味を持つ行為なのかもしれない。(中略)しばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かを少しずつ失い続けているような気持ちになる。

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』p135

そうかもしれない、と思った。


思ったそのときのぼくは、電車にいた。


その、少し前までは、海がよく見えるカフェにいた。


電車とか、自転車を使って、1時間以上かけて行くところ。


(ぼくは、車を持っていないから。)


友人の店、ということもあるけど。


ぼくは、わざわざここまで来て(と、言われることがある)本を読むのが好きだった。


いつでも行きたいくらいに。


近ごろのぼく、近々引っ越しするぼくは、気が滅入ってばかりだ。


引っ越し自体、嫌なわけじゃない。


(転職とか、せざるをえない状況じゃないから、今の住まいに納得しているなら、引っ越さなくていいのだし。)


ただ、引っ越しまで、あと1ヶ月半。


ほんの少し前までは、「あと2ヶ月」だった。


余裕をもって荷造りしているし、色んな手続きも進めているのに。


生活の匂いがするところと、しないところが両方ある、なんと言えばいいのか、半端なこの空間にいるのが、息苦しいらしかった。


じゃあ、半端じゃなくすればいい、と思って、日用品以外は早めに段ボール箱につめて。まだ、全部つめきれていないのだけど。


焦らなくてもいいのに、ぼくはなぜか焦っていた。


今まさに、これを書きながら、考えていた。


おそらくは、今のこの場所は、ぼくにとってはもう、安心できる場所じゃないんだ。


荷造りしていくことで、それが完了するまで、室内の見た目は変わっていくのだし。


これから住む家と、住まなくなる家で、2つも家があるようなものだし。


不安定で、不安になる状況なんだ。ぼくにとって。


しょうがないこととはいえ、頭も体も、休んでいるようで、休めていないも同然だった。


それで、水を見に行った。水というか、海というか。


水場は安心する。海は特に。水平線以外は、なにもないから。


最近は、本を開いても、目が文字を追うばかりだったけど、昨日は集中できた。


帰ってきたころには、それなりに疲れていたけど、頭の中までシャワーを浴びたような心持ちになっていた。


週に1回は通いたいな。むずかしいけど。そう思った。

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