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この「ぼんやり」は、いつでもやさしい

ぼくは、忘れやすい。


のは、精神薬の副作用のせいらしい。


けれど、全部が全部、そうなんだろうか。


ぼくの忘れやすさは、どこまでが薬のせいで、どこまでがぼくのせいなんだろう。


そう、最近思うようになった。


薬を服用し始めて、5年くらい。


たしかに、それ以前に比べれば、色んなことを忘れやすくなったと思う。


でも、加齢もあるだろう、ある程度は。


(加齢なんて言える年齢じゃないかもしれないけど。)


一日前のこと。


もしくは、半日前のこと。


あるいは、数十秒前のこと。


何をしようとしたのか、あるいはしていたのか、わからなくなる。


ぼくの忘れやすさは、たぶん、ぼんやりしすぎていることから来ている。


頭がずっとぼんやりするのは、5年前に比べたら、確実にそう。


悪いことじゃない。


むかしむかし、もしくは直近の、地獄のような記憶が、見えにくくなるから。


でも、脳みそは都合よくできていない。


ぼくを苦々しい過去から守ってくれる代わりに、幸せになったはずの今も、拒もうとする。


特定の記憶だけぼやけさせるなんて、むずかしいことだ。


ぼくが常用している薬の中でも、欠かさず飲むように、と指示されている薬がある。


鬱病を治す、というより、緩和? させるための。


(ぼくの鬱病が完治したためしはない。)


もしかして、この「ぼんやり」は、副作用ではなく、むしろ薬の効果なんじゃないか、という気さえしてくる。


まあ、実のところ、治療の核となっている(らしい)この薬じゃなく、別の薬の副作用かもしれない。10種類近くも飲んでいるのだし。


減薬を試みてはいるものの、増薬する方が多い現実。


(増えた分を、元の量に戻したりはしている。でも、実質的には減っていないまったく。)


それはさておき。


ぼくは、すでに数年ぼんやりしているし、これからもそうなのだろうけど。


精神薬を手放す未来も、想像できない。


色んなことを、ぼんやりじゃなく、はっきり認識してしまったら。


ぼくはまた、壊れてしまうんじゃないか。


それも、修復不可能なくらいに。


怖いな。


それ以上考えられなくなるくらいには。


だから、そのための「ぼんやり」なのか。


怖いことを、考えなくていいように。


思い出さなくていいように。


ぼくの「ぼんやり」は、いつでもやさしい。


いつか、生活できなくなるくらい、ぼんやりするとしても。


それでも。

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