この幸せが、あなたの(コンビニに生まれかわってしまっても/西村 曜)
「死にたい」で検索すれば出る相談窓口「死ぬ」では出てこなくなる(p102)
「熱」
ブタメンに湯を注いでいる最中に、カップを倒した。湯が半減したので、さらに追加。味が薄くなると思っていたけど、まったくそんなことはなく。さすが、カップ麵コーナーじゃなく、駄菓子コーナーに陳列されているだけある。つまるところ、これはおやつなので昼食ではないと、ぼくの良心が訴える。けれど、泣き腫らしたぼくは、腹に収まれば何でもいいのだった。
『コンビニに生まれかわってしまっても』
加害者になる心配はいらないの?(いらないの)薔薇に突っ込んだ指(p107)
被害者へ投げつけられる書き込みの「被害者ぶる」の「ぶる」はなに 犬?(p41)
他の人も、そうなのかは知らない。ふいに、昔のことを思い出し、その痛みに悶えることがある。誰かに傷を付けられたこと。その傷を何度も抉られたこと。見られたくないのに、その傷痕を晒されたこと。どれが何年前で、どれが何ヶ月前なのか、わからない。
思い出す度に、ぼくは涙する。痛いだけじゃない。ぼくを痛めつけた人達が、一生消えない傷だけじゃなく、後悔も残したことに。「変」「みっともない」「頭がおかしい」と罵りながらも、愛してくれた人達。ぼくにとって、それは家族で。
珍しいからな、と父が言い訳したのちくれる二千円札(p68)
諍いの父と俺とに挟まれて母はじっくり広告を読む(p63)
ほんとうに好きにやったら怒るのにあなたは好きにしろとだけ言う(p68)
1コ100円もしないカップ麵もどきをすすりながら、どうして鼻もすすっているのか。どうして、恨んでいる人達のことでこんなに泣いているんだろう。
思い出すことは、楽じゃない。楽しいことを思い出すと、辛いことも思い出す。辛いことを思い出すと、さらに辛いことも。「生きたい」と「死にたい」はぐしゃぐしゃにからまって、「死んで生きたい」になる。
この歌集は、それをほどいてくれる。からみにからまった感情をほぐして、再び歌として編んでくれる。西村曜さんの歌なのに、まるでぼくの歌でもあるような。この歌集は、一つの救いであるような気がした。
この幸せが あなたの幸せであること
この悲しみが あなたの悲しみであること
ふと、チャットモンチーの『親知らず』の歌詞を思い出した。あの人達も、ぼくを恨むことがあるんだろうか。悲しむことがあるんだろうか。
『コンビニに生まれかわってしまっても』誰かぼくだと気付いてくれるだろうか。ぼくを思い出してくれるだろうか。ぼくは祈る。ぼくが恨み、ぼくを愛した人達に。祈るための歌と共に。
コンビニに生まれかわってしまっても/西村 曜(2018年)