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ぼくは、ぼくにずれ込んで

ずいぶん、くたびれていた。


夕方には。


少し休んだら、体が軽くなった、そんな程度の。


変わらず珈琲屋の準備はしていて、もの書きもして、当然家事もしているので、頭がこんがらがってくる。


ぼくは、どのぼくも、別々に考えているから。


ぼくからぼくに、次々切り替わる。


そんな感じがする。


これを書いているぼくは、だから、もの書き(自称)のぼくで。


今、少し目まいを覚えたのは、どのぼくなんだろう。


疲れては、いるんだろうと思う。


ときどき、食欲が昂るときがあって。


それに、抗えないときもあって。


よくない傾向だと思う。


珈琲屋の準備は、もう自宅に籠もってすることが多いから、なおさら。


ぼくは、なにがぼくなのか、わからなくなっていく。


混乱しているから、疲れやすいんだろうか。


それとも、疲れているから、混乱している。





SNSで、「いいね」をくれる人がいる。


もの書きのぼくの、詩や短歌に。


ぼくに会うと、珈琲屋の進捗を訊ねる人がいる。


珈琲屋のぼくに。


家事をしてくれてありがとう、と言ってくれる人がいる。


洗濯物を畳んでいるぼくに。


たぶん、まだ、珈琲屋ははじめたてだから、混乱するんだと思う。


(まだ、始まってもいないんだけど。)


慣れていけば、珈琲屋のぼくも、もの書きのぼくも、いつものぼくも、上手く分けることができるんだろうか。


その、どれもがぼく。


それは、間違っていない。


でも、どのぼくも、少しずつ違っていることも、本当だと思う。


「あなた」は、ひとりでいるときの自分と、誰かといるときの自分は、同じなの? それとも、


体は疲れているのに、目だけ冴えている、妙な感覚。(そのくせ、頭が働いている感じはまるでしない。)


今日は、いつものぼくになる時間が多い。


受診をして、その後すぐに、ボランティアへ。


ぼくはまだ混乱しているし、受診との兼ね合いで、ボランティアの参加時間は後にずれ込むし、上手くいく気がしない。


珈琲屋の準備は、ずいぶんしてきた。(まだ買い残しているものはあるけど、予定は立てている。)


どうせ、出店当日は、想像の範囲外のことは起こるだろう。よくも悪くも。


それをわかっていても、落ち着きのないぼく。


理解と感情は、あくまで別物であることが、とても厄介。


(もの書きのときは、むしろ面白い方へ転がることもあるけど。)


でも、まあ、その日は容赦なく迫っているのだから。


ぼくは、震える手をなだめて、珈琲を淹れる。

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