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きっとこれからも、かろうじて

あとで書いておこう、と思ったことは、いくらかあったはずで。


この日記に。


でも、どれもささいなことだったせいか、なにも思い出せなかった。


いろんなことをすぐには思い出せないぼくでも、時間をかければ、と思った


けれど、欠片すら出てこない。


ささいじゃないことですら、思い出しにくいぼくのことだ。


ささいなことは、片っぱしから忘れてしまうんだろう。


1年前は、もっと思い出せることも多かったし、思い出すのも早かったはずだけど。


薬のせいなのか、もしくは、そもそもぼくに問題があるのか。


わからない。


わかったところで、どうにもできないことだ。


記憶がぼやける、この副作用のある薬は、ぼくの治療の核になっているらしいから。(と、主治医が言っていた。)


悲しいことだ、とすら、思えない。


いや、思えることは思えるけど、感情が伴わない。


不安定なときのぼくは、それこそ、感情しかないようなものだけど。


(悲しいも寂しいも、表に出さずにはいられないような。)


けれど、安定しているときは、それはそれで、上っ面だけ喜んだり、悲しんでみせたりしている。


それを思い返すと、自分がいかに空っぽなのか、思い知らされる。


以前に比べて、ことばが出にくくなって、どれくらい経っただろう。


3ヵ月とか、4ヵ月は経っただろうか。


(この「ことば」とは、書きつけるときの「ことば」を指す。喋る方は、ずっと不得手だ。)


もともと、書く技術があるわけじゃない。


それでも、ことばがまったく出てこなかったり、極端に時間がかかったりすることはなかった。(と思う。)


それが今では、見渡しても、すがりつけるような蜘蛛の糸もない状態。


とっかかりさえあれば、なんとかなるものの。


ぼくは、なにを書きたいんだったか。


ぼくは、ことばを好いていたんだったか。


ことばにならないことばだけが、頭の中を占めている。


そして、記憶はまたぼんやりする。


ぼくは、なにをしていたんだったか。


どうにも、


どうにもならないんだ、本当に。


ぼんやりするときは、安定する代わりに、ほとんど書けなくなり。


ぼんやりしないときは、そこそこ書けるようになるが、ひどく不安定になる。


前者でも後者でも、ぼくは不安になる。


不安が募りに募ると、逃避するかのように、身動きできないほどの眠気に襲われる。


だから、近ごろのぼくは過眠だ。


不眠よりはましにしても、ぼくが不安であることに変わりはない。


堂々巡りだ。


ぼんやりしているぼくは、きっと年が変わっても、かろうじて、で生きている。

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