その訃報に、ぼくは怒って、そして
母方の祖母が亡くなった。
そう、パートナーから聞かされた。
正確には、「ぼくを生んだ人達」から知らされたパートナーに。
(ぼくは、「ぼくを生んだ人達」との連絡を拒否しているから、こういうときは、パートナーに連絡が入るようになっている。)
なので、もちろん、母方の祖母とは、ぼくの祖母のことだ。
聞かされたのは日中で、パートナーが昼休みに入ったころだった。
休憩中にLINEすることはあっても、着信があるのは、急な用事のときだけだった。
でも、今までで一番、耳にして、ことばを失った知らせだった。
何も知らなかったぼくは、呑気に『そして誰もいなくなった』を手にしていた。クリスティに罪はなく、ただ自分を気持ち悪く思った。
知らせは、それだけじゃなく、当然、ぼくが参列するかどうかを訊くためのものだった。
どうせ、参列すると思われていないんだろう、とぼくは言った。
パートナーは、孫は参列してもしなくてもいいようになっているらしい、と言った。
吐き気がした。
なにが、してもしなくてもいい、だ。
たとえ孫じゃなくても、子どもでさえ、そんな義務はない。
ぼくをさんざんなじってきたくせに、その自覚もなく、まるで「無理をしないように」と聖人のように諭しやがって。
ぼくに無理をさせてきたのは、他ならぬお前らのくせに。
関係のないパートナー相手に、思わず語気が荒くなってしまい、申し訳なく思った。パートナーは、ぼくが参列しないことを伝える、と言ってくれた。
そのときのぼくは、銀行へ行き、そして本屋へ行った帰り道だった。
訃報を聞いたのが、うちじゃなくてよかった、と思った。
怒りも悲しみもない交ぜになった状態で、一人にさせたら、なにをするかわかったものじゃない。
ぼくは、思い返していた。
祖母に、おばあちゃんに、最期まで会えなかったこと。
「ぼくを生んだ人達」と二度と会わないと決めたことは、祖母を含む親類にも会わないということ。
べつに、親類に執着はなかった。祖母を除けば。
子どものころは、祖母の家には、よく行っていた。
握ってくれるおにぎりが好きだった。
認知症が進んで、ぼくを忘れても、祖母自身は変わらない様子だった。
いつも、穏やかで。
おばあちゃん。
いつか、おばあちゃんが亡くなっても、ぼくはきっと参列しないのだと、決めていたし、わかっていたけど。
そうか、今がそのときなのか。
それを自覚すると、涙が出てきた。
どうせ、通夜でも葬儀でも、どこかしらでぼくをなじる声が上がるだろうけど。
ぼくは、おばあちゃんが好きだった。
苦しまずに、向こうにいけたのかな。
それだけは、ぼくなんかでも、願っていいだろうか。
どうか。
どうか。
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