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淋しさの末、必要だったのは

変に淋しくなることが増えた。


変に、という言い方が、そもそも変かもしれない。


でも、とにかく変だと思う。


言いようのない苦しさを覚えることは、しょっちゅうだとして。


こんなにわかりやすく、淋しいと感じることは、あまりなかった。


それも、なんというか、友人に会いたい、という類の淋しさだった。


どうしてこんなに、はっきりしているんだろう。


(それから、関係ないけど、「さみしい」を変換するとき、「淋しい」を選ぶようになった。ずっと「寂しい」を好んで使っていたのに。)


仕事へ出かけるパートナーを見送って、ぼくはぼんやりしていた。


ただぼんやりして、1日経っても2日経っても消えないこの淋しさは、何なんだろう、と考えた。


一昨日の夜は、『Coffee Talk』というゲームをプレイした。2周目だ。ノベルゲームで、会話形式で進行していくから、多少は気が紛れた。


それで昨日は、先日クリアした、と思っていた『ファミレスを享受せよ』を、改めてプレイした。まだ、見ていないエンディングがあるらしかった。これも、会話がメインのゲームだ。

その中で、ぼくは思った。


ぼくに必要だったのは、会話だったんじゃないか。


とにかく、何かをせずにはいられなくて、焼き菓子をこしらえてみたり、少し手をかけて昼食を作ったりしてみたけど、それだけでは、何も解消されなかった。一人で、黙々と作業するだけでは。


会話が必要だった、といっても、実際に会話がしたかったわけじゃないんだろう、ぼくも。


実際に、というのは、つまり、だれかを目の前にして喋る、ということだけど。


平日なんだから、友人達のほとんどが働いている。から、ぼくの話し相手にはなれない。


その事実以上に、ぼくは、自分が思うより、自分は何もしていないことに気付いて、不安になったのかもしれない。


だから、なんでもいいから、話さないではいられなかったのかもしれない。


話し相手は友人じゃなくていいし、話すのもぼくじゃなくていい。


会話が発生しているそこに、自分もいるような気になれれば、それで。


自分でも、書いている内に、わけがわからなくなってきた。


とにかく、突然ふくれ上がった淋しさは、疑似的な会話で和らいだ。


思うより、自分はずっと単純なのかもしれない。


ぼくは、ゲームタイトルを2つ、手帳にメモしておいた。それから、「ゲームをすること」とも。


自分がまた、どうにもならなくなったときに、自分を癒す手段として。

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