ぼくを巡る、もしくは巡らない時間
フィッツジェラルドの『夜はやさし』は、やさしい話ではまったくない。
のを、本当に唐突に思い出した。
あの本を読んだのは、高校生だったか大学生だったか、とにかくそれくらい前だった。
図書室(もしくは、図書館)で借りたのは、覚えている。
手元に置いた覚えはないから。
名作ではあるのだ。やさしくないだけで。
やさしい、と、おもしろい、はまったく別物であることを、当時感じ入ったような。感じ入るような事実ではないけれど。
そんなことを、たぶん1ヵ月は来ていなかった喫茶で思った。
注文したココアは、ずいぶんまっ白な水面だった。
褐色の縁に目をこらさなければ、わからないほど。
水っぽいようでいて、しっかりした甘さがあった。
「よく焼けていらっしゃいます」
と、マスター、もといマダムが言うのが聞こえた。
何の話かと思えば、日焼けのことらしい。常連の。
読書に集中できる喫茶(と、ぼくが勝手に思っている)なのだけど、そのときのぼくは、詩をしたためていた。
イヤホンを耳に突っ込んだり、ポメラを立ち上げるのにふさわしくない場所(のような気がする)。
でも、祝日で、もう15時を回っていたので、うるさすぎない場所が、他に思い当たらなかった。
レコードのかかっている店内で、イヤホンを付けている、少々の罪悪感。
ココアをすすりながら、ノートに下書きし、ポメラで清書し、出来上がっていく詩。
ソネットを6編。
店内で感じたことを、あとで日記にしようと、いくつかメモを残した。
帰り際、カウンター席に座っていた客を、知り合いと見間違え、動揺する。
外は変わらず、蒸し暑かった。
大量に汗をかいたぼくは、シャワーで汗を流し、珈琲豆の焙煎でまた汗をかき、また汗を流した。
足がだるい。
室温は、前日より2、3℃低かった。
2、3℃の差は、思っていたより大きい。蒸し暑さが、ずいぶん違う。
氷河期と現代の気温も、実のところ、約5℃しか差がない、というのを思い出す。
ぼくが小学生のころ、進研ゼミで学んだことだから、うろ覚えだし、昔より気温はずいぶん上がっているはずなので、正確さを欠くけど。
タオルが、ほとんどない。ぼくが、シャワーを使いすぎているせいだ。
もう夕方だったけど、洗濯機を回す。
目を閉じると、より大きく聞こえた。
洗濯機の回転も、家鳴りも。
『夜はやさし』は、やさしい話じゃない。
でも、主人公にとって、夜だけは、唯一やさしいものだったんだろうか。
読み返す必要があるほどに、ぼくは話を覚えていなかった。
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