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白が薄める、悪夢の名残

時々、ドラマ仕立ての夢を見る。


「ドラマ仕立て」と言えるのか、自信はないけど、とにかく、出てくる人間も、吐き出される台詞も、何から何まで芝居がかっていて、寒々しい。


そのドラマでは、ぼくを生んだ人達が、痛い目を見る。


最終的に、ぼくと、ぼくに協力した人間(知っている人は、一人もいない)が、手を叩かんばかりに喜び合い、ハッピーエンド。


なぜか、こういう夢のときだけ、終わりがある。


所詮夢は夢。現実では、何も起こっていないし、ぼくを生んだ人達はのうのうと生きているのだし、ぼくは顎が痛い。眠っている間、歯を食いしばっていたから。


でも、脳みそは勘違いしているのか、目が覚めた後のぼくは、少しすっきりしている。なんとも、空しいことだけど。


そんな夢を、わざわざ昼寝のときに生成しなくても。ぼくはただ、眠気を解消したかっただけなのに。


一昨日、あまり眠れなかったせいだと思う。


昨日の朝は、それなりの目覚めだったけど、昼に差しかかって、突然、ひどく重い眠気に襲われた。わかりやすい寝不足。ぼくは、素直に横になった。


これだけ眠いのだから、きっと熟睡できるだろう。きっと、妙な夢は見ないだろう。そう考えていた。妙な夢は、眠りが浅いときに見るのだから。


結論として、まったくそんなことはなかったのだけど。


すでに夕方だった。ぼくは、夢から少しでも離れたくて、それは、ぼくにとって眠っていた場所から離れることで、とにかく外へ出た。


近所の書店をうろついていると、ふと、先日読了したハン・ガンの『すべての、白いものたちの』が目に入った。

ぼくは咄嗟に、手を合わせそうになった。そして、同じような唐突さで、それを止めた。


自分でも、よくわからない。ふり返ってみれば、あれは、何かに縋りたい思いがあったのかもしれない。あんな、どうしようもなく下らない夢を見た後で。


神さまは、どこにでもいる。と、なんとなく思った。


その後、『すべての、白いものたちの』じゃない本を、併設のカフェで読んだ。


自宅以外で本を読むとき、ぼくは、ほとんど必ずイヤホンをする。しないのは、店内BGMが流れていないとき。


区切りのいいところで本を閉じて、イヤホンを外したとき、うっすら聞こえていたBGMも、人の声も、思っていたよりずっと大きかったことに驚く。いつも。


ぼくはまだ、夢見心地だった。悪い意味で。


カフェを出ると、また『すべての、白いものたちの』が陳列されている棚の前に立った。


手は合わせなかった。ただ、厳かな気持ちでそこにいた。


悪夢の名残が薄れるまで。ぼくは、立ち尽くしていた。

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