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夢と現と、力の入らない足

湯を沸かしている間。


何の気なしに、本棚をふり返った。


吉田篤弘の『中庭のオレンジ』の背表紙を目にして。


表紙の装丁まで、思い出して。


あれは、昨日手渡された本だ、と思った。


実のところは、違うのだけど。


数ヶ月前に、書店で自分で買ったものだ。


だから、手渡されたのは、あれは、夢の話だ。


手渡したのが、誰だったのかは、覚えている。


現実には、会ったことのない人、とだけ。


そんな風に、あまり眠れないぼくの記憶は、混濁する。


こんな風に、ふと、あれが夢だったことを、思い出す。


たいしたことのない記憶だけど、それが夢だったことに、現実ではなかったことに、時々落胆する。本当に、たいしたことはないのに。


とにかく、珈琲のために湯を沸かしたぼくは、珈琲を淹れた。


先日、(少なくとも、見た目は)焙煎に失敗した、と思った豆は、思っていたよりはおいしくて、けれど、冷めてくると、尖った苦みが顔を出した。苦みが嫌なのではなく、嫌な苦みだった、という話。


ささくれ立った舌を慰めるために、というわけではないのだけど、もともと行こうと思っていた珈琲屋へ。


自転車を漕ぎ出して、しばらくすると、足から力が抜けるようだった。立っていられるけど、そんな感覚があるような。


その感覚は、軽くなったり重くなったりしたけど、その日なくなることはなかった。


朝、珈琲豆を焙煎したときも、少しふらついた。(それは、あまりにも暑かった、というか熱かったせいもあるかもしれない。)


力の入らない足は、朝のことが後を引いた症状なのか、それとも、気圧のせいなのか。


そういえば、気圧の薬があるらしい。低気圧による頭痛等の諸症状を、抑えるための。


興味はあるけど、これ以上薬を増やすのに躊躇いはあるし、飲み合わせを薬剤師に確認するのも面倒だ。そもそも、力の抜ける足に、気圧に関係ないかもしれない。


いろんなことが、全く以てうまくいかない。


甘すぎない(と感じるようになった)VAPEだけが、変わらずおいしい。たとえ気のせいでも、息がしやすい。


頭を悩ませることは、まだ山積みだ。そんな中でも、夢か現かわからず、記憶は混濁して。だから、いつにもまして、ぼくは疲れている。そんな気がする。


『中庭のオレンジ』の背表紙に触れても、それをぼくに手渡した架空の人物の顔は、思い出せそうになかった。

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