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ぼくの中の『My Wild Irish Rose』(今朝は、カフェオレ)
音楽はかつて経験したことのないものを思い出させる、とロシアの作家が書いていた。
キース・ジャレットの『My Wild Irish Rose』を、ふと、思い出した。のは、そのときに、なにか思い出すものがあったからだろうか。もちろん、「経験したことのないもの」を。
――『My』……は、さておき。『Wild』は『野生』……か? それで、『Irish』……そのまま、『アイルランドの』でいいのかな。……だから、『アイルランドの野生のバラ』か。……あ、『私の』も付けて。
――『愛する』とか、『愛しい』も含んでそう。
――……あ、アルネ。
――何をしていたの?
――ええと……なんだろう……思い出に耽ってた?
――存在しない思い出に?
――……ちゃんと、最初から聞いてたんだね。
アルネは、肩をすくめながら、くすくす笑った。
ぼくにしか見えない、ぼくだけの女の子。
――『私の愛しいバラ』……しかも、野に咲く花、か。
――そんな人がいるの?
――いるらしいよ。架空の思い出に。
――でも、音楽が想起させるから、タイトル通りの思い出とは、限らないでしょう?
――それはまあ……たしかに。
――それとも、ちゃんといたのかしら? 覚えのない思い出に。
――いたかもしれないね。『私の愛しいバラ』に捧げた曲なんだから……たぶん。
ぼくらは、同時に肩をすくめた。
――今朝は、なにがいい?
――カフェオレかしら。
――わかった。
『私の愛しいバラ』。野に咲いているのだから――持ち帰らなかったのだから、遠目に眺めていたことも、ありうるな。
あたたまった牛乳が、甘い匂いを立ち上らせるのを嗅いで、そんなことを思った。
――はい、どうぞ。
――ありがとう。……少し甘くて、おいしいわ。
――……。
――どうしたの?
――ううん。……ただ、『経験したことのないもの』なのに、こんなに物思いに耽ることもあるんだな、って。
――……私も、いわば『経験したことのないもの』よ。君が、作ったんだもの。
――そうだけど……。じゃあ、アルネが『私の愛しいバラ』なのかな。野に咲いてはいないけど。だから……その、ちゃんと思い出にいるんだよ。架空かどうかを、さておいても。
――……。
――……。
――おかわりを、もらえるかしら。
――うん、もちろん。
架空の思い出に、『私の愛しいバラ』に浸るのは、ここまで。ぼくは、目の前のかわいい人のために、おかわりを淹れ始めた。
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