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「そんな生き方をしている。」

あらすじ:色々あった。


内的要因とか、外的要因とか、そんなもろもろで、疲弊した一週間だった。一週間以上あったかもしれない。忘れた。時間の感覚が、だんだん薄れていく。


こんなに精神的に荒れたのは、久しぶりかもしれない。ツイッターに苛立ちもなにもかもを吐露するのは、覚えている限りでは、はじめてだった。ツイートを消してもいいんだけど、なんとなく残している。まあ、ぼく以外、誰もふり返らないだろうし。


悪夢は見なくなった。正確には、出てほしくない人が出てくる夢は。それのせいで、ぼくは壊れかけて、また色々あって、だめになるところまで、だめになりそうになった。すんでのところで、夢とか、だいぶ落ち着いてきたから、持ち直したけど。


誰かに会ったり、会わなかったりした。好きなことができない日が多かった。眠たくて、眠りたいのに、眠れなかったり、眠るのが怖かったりした。


今思えば、定期的に鬱がひどくなる、その波の一つだったのかもしれない。定期的に、とはいえ、慣れるはずがない。そのときは、もう、なにもできない。憎い人をとことん憎んで、自分を蔑むくらいしか。あと、スマホばっかり見る。


しんでほしい人がたくさんいて、生きていてほしい人もたくさんいることを、改めて思った。


まったく関係ないのだけど、万年筆から、やたらインクが漏れる。聞いた話だと、季節柄起こることらしい。机の上に点々としたり、指の腹や、なぜか腕に付いていたりした。


一度、手首に付いてしまったとき、皺に沿って滲んでしまったので、そしてインクが山葡萄色なので、見え方によっては切り傷のようだった。似たような跡は、人差し指にもできた。なにもしていないのに、自分を傷付けた気分だった。痛みはないので、いくらでも見ていられる。


自分が生きているのか、しんでいるのか、3桁じゃ足りないほど考えてきたことが、頭を巡る。


いつしんでもいいのだ。いつしんでも、おかしくないのだ。と、思うようになってから、しんだように生きている。気がする。ぼくは今まで、何度も、しんでもおかしくない目に遭ってきた。それでも生きているのは、運がいいのか、悪いのか。それも、わからない。


わからないから、まだ生きているような気もする。なんだかんだで、30近くまで生きてきた。たぶん、これからも、そんな感じだ。頭がおかしくなって、だめになるところまでだめになって、そして一区切りつく。ぼくは、ずっとそんな生き方をしている。

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