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「愛」について 中身がない

これまで以下3回の投稿したけれど・・・

はじめに

愛ー辞書より

愛ー参考本から


いずれも自分で投稿しておきながら

つまらない

中身がないから。

「中身」とは?

わたし自身の考えや、立場、意見、想いなどが

「中身」になる。

前3回の投稿は、その「中身」が薄くて

愛⁈のかけらもない。


愛について考察するとnote公言しつつも

どこかで気恥ずかしさを背負っているのを否めず。


「愛」を言葉にする時

(これは、決して“愛している”と言葉にするという意味ではなく、単語として“愛”を使う場合も含む)

なぜ、気恥ずかしいのだろう

また、時には後ろめたいのだろう

そして、場合によっては胡散臭い言葉にも見えてしまう。


性愛、恋愛、友愛、家族愛、自己愛 

思いついただけでさまざまな形がある

それぞれ異なる印象を与えるものだが

共通項もきっとあり

これらの最大公約数的な要素を見つけたい。




人が最期に求めるものとして

「食」と「愛(ふれあい)」が挙げられる

「最後にアレが食べたい」とは正直に言えるのに

「最後にあの人に会いたい」

「手を握りたい」

誰かとふれあうことを求めるのは遠慮してしまう。


冒頭で書いた

「愛」に対する気恥ずかしさを拭えたなら

最期まで幸せに生きられるのではないかと考えている。



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