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伝えし者

最期に残るのは己が塊。そして、それもいつしか、時として風化すべしもの。灰となり、風の塵となり、まゝ、いずれ大地と海と空の風からまた生まれしもの。

「へえ、現代には、そんな"過去の偉人"が載っているんだね」

教科書に書かれたであろう過去の偉人たちを視て思ふ。教師たちよ、なぜあなたたちは伝えようとするのか。聞かせてくれたまえ。おそらく人は、教え伝うことをやめることはできるけれど、やめてしまっては、次の世代の子たちがまた教え伝うことはできなくなる。誰かのためではなくて、ただ、今できる最低限のことをやっているだけ。時として風化して歿る(なくなる)ことを恐れているのか、人間は。風が気持ちいい。コロナの風。本当は、なんでもなかった言葉たち。誰がそう命名(意味合い)づけをしたのか。今となってはどうでもいい。歴史のため、教科書のため、勉強のため、子どものため・・・・・・そんなのは全部建前で(もちろんそういう優位な点もあるだろうが)、本当は、歿る(なくなる)、喪う恐怖に怯えているだけかもしれない。戦争の言い伝えだって、吟遊詩人だって、(それこそ、本当は私だって好きなのだ、そういうの。)やめることもできるけれど、他の誰にだって口を閉ざすことはできるし、それは当たり前、普通に還るということなのだ。教える、伝えることができる、それは、その人たちにしかできないという付加価値がついているのだ。だから、やめることができないのだ。人は、伝えるということを・・・・・・。


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