心のパレット、人生のキャンバス
こんにちは、愛音です
私には統合失調症をはじめ、複数の精神疾患があります
さて、障害を持つことは不幸でしょうか?
精神疾患が分かった14歳から現在まで障害を理由に虐められたり、酷い言葉を投げられたり、冷たい扱いを受けてはいません
それは家族の理解から始まり、主治医との信頼関係、そして外に出ようと決意し通所を開始したB型の職員たちとの関係がとても良好だったからです
精神障害について初めから家族は知識を持っていたわけではありません。知り合いに相談したり、調べたり、主治医とも相談をしてくれました
知識を得ても家族は私を特別視しませんでした「学校に行けなくても愛音は愛音」「心が風邪をひいても、愛音が誰か分からないような別人になったわけじゃないよ」この心の広さが障害を負っても不幸と思わない大きな理由です
家族は障害の共感は出来なかったかもしれない、なぜって障害の経験がないからです。だけど障害を理由に遠ざけることは考えたことがないそうです
「どんな姿になっても、どんな時でも愛音だから。また必ず心から笑える日がくるよ。その日が楽しみだね!」何度もこういったことを伝えてくれてました。
しかし世の中理解ある人だけではありません
障害を理解しない、向き合おうとしない、誤解される、
こういった人がいるのも事実です
知り合い、友人には家族から酷い扱いを受けていた過去があったり、学生時代虐めに遭っていた人たちがいます
誤解が生まれるのは知るきっかけがなくて、メディアの過剰表現を鵜呑みにしているからではないか、と思います
自傷行為を死ぬ手段、というのも私からすれば誤解ですし
ただし、障害と生きることは辛いと言えます
21年通院をし薬を飲まない日は21年間の中で1日としてありません、飲み忘れると体と心に不調が現れます。家族がどんなに受け入れてくれても障害と生き続けることはどこかで辛さが出てくるものです
楽しいはずの10代、20代に年相応の思い出はないかもしれない
ほとんどが自分の部屋か、診察室での思い出です
それに仕事を辞めたのも眠っていた障害が暴れだしたのがきっかけであり、辞める理由にもなりました
だから障害をと生きて得をした!そう思ったことはないです
ですが、障害がくれたものがあります
それは人の心の痛みを知る力と、その心を包む能力です
心の痛さは種類は違えど多々経験してます、傷ついているときどんな気持ちか、どんなふうにそばにいてほしいか、頭で考えるのではなく感覚で分かります
HSP気質でもあるので、それも関係しているかもしれません
神様って意外としっかり存在していて、マイナスとも言えるものを与えたら、なにかプラスになるものもコッソリ渡していたりします
私には精神障害を与えプラスとして痛みを知る力と包む力をくれました。マイナスばかり与えていたら生きるバランスは取れないです。このプラスがあるから、私は夢を抱いたり下ばかり向く歩き方をしないんです。
どこかで必ず役に立つ、神様が渡してくれたプラスの力
その力を発揮できる新たなステージを探す
こう考えると、障害があることは決して不幸一色ではないんです
世界にはね、あなたが考えるより何倍もの色が存在します
そしてあたなにしか作れない色だってあるんですよ
障害はいらない色と思いますか?
そうとは限りませんよ
アーティストの中の1人があなたの色を見て欲しがるかもしれない
人生なにが起こるか、どんな出逢いがくるか、
それは誰にも分からないことです
今は1人で描いてる絵も、いつか共作になるかもしれませんよ?
あなただけのもつ色を特別と気に入る誰かとの共作、
そういった絵を私は沢山、沢山見てみたい!
*愛音*
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