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この留学に花をそえる旅

月末の帰国を前に、いま私は友人たちと旅行をしている。

少し長めの期間と、暮らせるような宿をとって、最後の日々を味わっている。

最後の日々に花をそえるこの旅は、気づけばまたもう一段成長しろと言われている旅のようで、この期間の意味はなんだろうなと味わいながら過ごしている。


チェジュで過ごす旅


いま私はチェジュ(日本でいう沖縄のような場所)の宿で、このnoteを書いている。

ちなみに宿からの眺めはこんな感じ。海に面していて、自然を感じられて、窓からの風景を見ているだけで気持ちが落ち着く。

▲夕暮れ時の風景


この旅は、韓国に半年住んで初めてにして最後の旅。

この半年で仕事を変えたり語学学校生になったり、そもそも異国に住むことに挑戦した自分へのご褒美と位置付けてここに来た。

でもなんだか、ここでまた一段成長を得ていると思う。成長というか、人としてひと回り大きくなることというか。


この留学に花をそえる旅行


この数日、心から楽しい時間を過ごしている。

そもそも海外旅行にいけない代わりにと海外に住み始めた私なので、わざわざ旅行をする必要はないと思っていた。

だけど来てみたら想像以上に楽しくて、こんなにも楽しくていいのだろうかと感じたりもした。


それで、結果的には今のところ「ただただ楽しい」では終わっていなくて、例えば自分のなかの深い話をしてみたり、あるいは互いが外国人である友人たちとぶつかったり、濃い時間を過ごしている。

なんとも形容しがたい不思議な時間。1日のなかで感情が目まぐるしく変わる。


次第にこれは、私を最後に成長させる「合宿」のようなものだったのではと思ってきている。

ちょっとスピリチュアルのように聞こえるかもしれないけど、でもスピリチュアルと私たちの生活は紙一重だとも思う。

海外に出たい思いは、先祖の思いがそうさせているのだと過去に聞いたことがある。

それで、そんなことはまったく意図せずに、今回の旅のなかで亡くなったおじいちゃんの話をした。


この話は「私たち家族の秘密」のようなもので、実は友人にもほとんどしたことがなかった。

それがなぜか自然と出てきて、気づけば友人と互いに涙していて、もう10年以上も経っているのに、改めておじいちゃんの死を想って悲しんで味わうことができた。

まだ何かが残っている感じもする。だけどこれは明らかに、私が気づいていなかった未完了で、ここで一部を完了したのだろうなと受け取っている。


留学の最後に花をそえて、私をまたもう一段おおきくしてくれているこの旅。

終わったときにどんな思いがあるのだろうという気持ちと、こんなにもこの旅にどっぷり浸かっていていいのだろうかという気持ちがひしめいている。

でもいまは、いまを味わって帰ることにする。

未来に生きてしまって、いまを後回しにしがちな私だから、ちゃんといまを味わってから帰りたいと思う。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️