評価をもらうためではなく、じぶんのために努力をすること
私はずっと、誰かに評価をされたくて努力をしてきた。逆にいうと、評価されづらいことは努力の対象から外してきた。
会社で評価されるから。お客さんに喜んでもらえるから。子どもの頃だったら、先生に褒めてもらえるから、親が喜んでくれるから。
私の行動の軸は、「他者の評価」だった。
中学生の頃の友人の話
中学2年生のとき、ある女の子と友人になった。
素朴で明るくて軸があって、人気のある女の子。何も取り柄がなく、基本的に他人軸だった私は、その子と行動をともにできるだけでとても嬉しかった。
でも、その子はお父さんの転勤で転校することになった。
転校が決まっていて次の試験は受けないのに、転校直前まで先生に質問をして勉強に努めている姿を見た。
当時の私は、もうこの学校で試験は受けないのになぜ? と、不思議で仕方がなかった。
友人は、努力はじぶんのためだと気づいていた
なんてことはない昔の記憶だけど、ずっとこれが引っかかっていた。なんで彼女は、あんなに頑張れたのだろう。
この理由がふいにわかったのはつい最近のこと。誰の評価をもらいたいわけでもなく、じぶんがやりたいことのために、私自身が勉強を始めたから。
そして、じぶんのために学ぶことは、とても楽しいものだと気づいたから。
評価のために行動することと、じぶんのために行動することはまったく別物。
前者は他人軸だけど、後者は自分軸。そして、後者は原動力がじぶんの中にあるので継続ができる。
評価ではなくじぶんのために努力をすること
私は、この違いに気づくまでに30年かかってしまった。でも、彼女は半分の15年くらいでそこに到達してたんだな。
彼女のことを改めて尊敬したし、みんなに好かれるひとにはそれなりの理由があるのだと再確認した。
生きていると、評価をされる場面も評価を与えてくれるひともたくさんいる。それが全て悪いわけではないけど、評価をもらえるルートに沿って生きていてもダメ。
じぶんの生きたいルート上にたまたま評価があったからもらっておいた、くらいの気持ちで生きたい。
30年、他人の評価をもらうルートで生きてきた私。それが体に染みついてしまっている。でもこれからは、じぶんのために努力をする感覚を身につけていきたい。
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