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子どもの頃に好きだったことが見つからない

最近の私は、子どもの頃から好きだったこととはなんだろうと考えている。

というのも、そういうのを見つけて!と、信頼している占い師の方がくり返しおっしゃっているから。

私はスピリチュアルなものが好きで、占いをよく見る。私にとって占いとは天気予報のようなもので、事前に傾向がわかっていれば対策が取れる。

前職で経営者の方とお仕事をしていた時、経営者の相談相手は占い師に行き着くと聞いた。ふーんと思っていたけれど、いまはその気持ちがわかる。

何か言語化のされた問題を相談するというよりは、いや、きっとそういうこともあるのだろうけど、天気予報的に使っている方も多いのではないかと。

かけ出しフリーランスな私の安直な思考だけれど、ご自身でお仕事をされる方たちは、考えることを絞るために占いを利用するのではと想像している。


子どもの頃わたし


私の信頼する占い師の方とはYouTubeで見ている方なのだけど、この数週間ずっと「子どもの頃に好きだったことを思い出して」とおっしゃる。

ずっと考えているけれど、これがけっこう難しい。子どもの頃のことが思い出せない。

私が子どもの頃に興味があったことといえば、親や祖母から褒められることと、誰かより秀でること、だろうか。

「何かが好き」というよりも、「よくできたね」と褒められることが嬉しくて、何かをやっていたような気がする。

例えば足は早かったけれど、別に走るのは好きではなかったし、走って一番をとって褒められることだけが嬉しかった。

本はたくさん読んでいたけれど、本を読むことが好きだったのではなくて、こんなにたくさん読んだんだね!と褒められることが目的だった。

そんな私なので、子どもの頃に好きだったことが思い出せない。思い出したことをヒントに新しいことに挑戦したいのに、種がまったく見つからない。

私は何が好きだったのだろう。過去の私が「褒められたい」を被りすぎて、何を好んでいたのかがわからない。何ということなのだろう。


好きだったことが見つからない


でも例えば、「子ども」の範囲をもう少し遅らせて中学生くらいまで進んでみれば、やっぱり私は書くことが好きだった。

個人で開設したYahooブログ、友人と作ったホムペ。作りっぱなしにせずに、わりと更新していたと思う。

その何が好きだったかといえば、誰かに自分のことを知ってもらえること、自分の感情を書けることだったのかなと。

身近な人にはなるべく知られたくなくて、私のことを知らない誰かに私の存在を知ってほしかった。

そう考えれば、大人になった私はもう2年以上も、こうして感情を書くことをしている。気づかないうちに、好きだったことをやってたんだなぁ。


そう気づいても、いまの私は何か他にも「子どもの私が好きだったこと」を見つけたい。私がまだ思い出せていないことがあるように感じるから。

これはないものを探している行為なのだろうか。それともほんとうに忘れているだけで、探した先に何かがあるのだろうか。

どちらなのか、いまの私にはまだわからない。でも、探したい気持ちがまだ消えないから、ゆるく探し続けようと思う。

子どもの私が好きだったこと。いまの私で思い出して、それをまたやってみたい。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️