#THECOACH:シャドウという存在が、かわいく思えた日
シャドウというものに、最近の私は繰り返し向き合っています。
シャドウとは、自分でもなかなか気づけない、でも確実に自分の価値観やものの見方を左右しているもの(人格)です。
少し前に見つけたのは、「前職時代のすべての私」がシャドウになろうとしていること。セッションをして手放しました。
でもこれは、どちらかといえば稀な例だったんだといまでは思います。
というか、事前に受けた講座があったから、そこでほぐされてシャドウが言葉になりやすかったんだなと。
いまの私にはまた何かがあって、それを言葉にしたいけど、どうやって見てもうまく言葉にならない。
こういうものはそれぞれにタイミングがあるから、無理やり言葉にする必要はない。そうわかってはいても、もどかしい気持ちがあります。
と、もどかしく過ごしていたら、一昨日受けたプロコースでシャドウが1つ見えました。ちょっとかわいく思えたから、書いておこうと思います。
最近感じていたこと
もっぱらここ最近のモヤモヤは、私は誰とも深い関係性が築けないということです。
少し前のこの記事にも書いたのですが、いまの私は深く本音を話せる関係性やパートナーシップを持っていないと感じています。
コロナが起きて、世界が一気に変わってしまって、私も人生を変えたくなり、意識して人間関係を変えました。
それには満足しているのだけど、なんだか上部をなでるような振る舞いしかできなくなった自分がいます。
それがなぜ起きているのかわからなくて、でもこの状態は孤独で、だけどやっぱり周りの方のことを「配慮」してしまう私がいました。
今回のシャドウは何だったか
それで、今回見つけたシャドウはなんだったのか。
それは、理性的な人間でありたいと思う私でした。
私のコンプレックスとして、男性としか本音の言える関係性を作れなかった私がいます。
これを断ちたくて、この1〜2年は自分を変えてきました。
人間関係の変化とともに性格が変わり、見た目も実は大きく変わりました。私はいまの私のほうが好きです。
でも、置いてけぼりにしているものもありました。それが、「特定の誰かと深く関わる」ことです。
そもそもなぜ男性との関係性を切ったかというと、1つはセクハラ、1つは失恋でした。
前者はそのものの記憶や周りの方たちの言動に深く傷つき苦しんだし、後者は自分を大事にできない私を呼び覚ましてしまって苦しみました。
このままの自分では生きられなくなって、生きるために必要にかられて自分を変えました。
結果、生きやすくはなったけど、孤独を感じる私もいる。何が起きているのかわからず、そしてこれがシャドウでした。
シャドウという存在がかわいく思えた日
私のシャドウは、「理性的であると思われたい人」「恋愛には興味がないと思われたい人」でした。
「世界は恋愛に支配されすぎている」「世界は結婚という呪縛に支配されすぎている」と思っていて、「だからあなたはそうはならないでしょ?」と、私に声をかけているようです。
この価値観自体は私の中にいてくれていいと思うし、私には確かにこの価値観はあります。だけど、いつの間にかこの思いが私を縛っていたようでした。
シャドウは「恋愛に興味がない」自分を、ちょっとかっこよく思っているようです。それで、そんな価値観を私にも共有してほしいようです。
そうすれば、ひとりじゃないから。仲間がいるから。
きっと、シャドウ自体が孤独なんですね。だから仲間をすぐ近くの私に求めたし、本体の私も孤独をシェアしていたのだなあ。
そう気づいて、シャドウのことを少しかわいく思えました。
すぐ近くにいるのに、その正体にはなかなかたどり着けないこと。もどかしいし、不思議だなとも思います。
さてさて、次はこのシャドウとどう付き合っていこうか。
そんなことを考えながら、この週末を過ごしています。
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️