見出し画像

女性が自分の姓を名乗り続けるってどうしてこんなに難しいのか

私は、もし自分が結婚することがあったとしたら、絶対に自分の姓を名乗り続けたいと思っている。それは通称ではなく戸籍上。

私は私の名字と名前の2つが揃って私を形成していると感じているので、絶対に名字は変えたくない。そしてただ単純に、なぜ女性だけが名字を変えて不利益を被り続けなければならないの?という社会に対する憤りの感情もある。

半年ほど前に私は、82年生まれ、キム・ジヨンという映画をみた。女性であるというだけで幼い頃から弟と比べて扱いが違ったり、就職がうまくいかなかったり、性被害や子育ての負担とか。そういったことが、キム・ジヨンという韓国の女性目線で描かれていた。

私はまだ結婚をしていないので、実体験で共感できることは少ないけど。でも、学生時代や社会人になってから感じてきた理不尽なことはたくさんある。ずっと共感のしっぱなしで、映画館でひとり泣き疲れるくらい泣いた。

その後、この世界にもっと浸ってみたくなって、同タイトルの本も買って読んでみた。映画と比べながら読んでみたけど、やっぱり本の方が情報量が多くて、映画で見た内容がより深く理解できたような感じがした。

そしてこの本の中で、夫婦が夫の姓を選ぶのか、妻の姓を選ぶのかという話が取り上げられていた。でも二人は議論をしたというより、婚姻届を出すときに軽く触れたという程度で、もちろん夫の姓を選んだ。

この部分を読んだとき、キム・ジヨンの時代の価値観を、すごく古いもののように感じた。でも実際は、いま私が生きる日本も、この時代と同じだったのだと知ることになった。悲しくて、しばらく受け止めきれなかった。

だって、キム・ジヨンは82年生まれで、私は91年生まれ。韓国は日本よりも男尊女卑が強いのだとなんとなく思っていた。いまの日本で女性が自分の姓で生きたいと言えば、ある程度受け入れられるものだと思っていたけど。

私には、女性の生き方やジェンダーの話をよくする親友がいる。その子の話によると、どうも今の日本でも、妻の姓を名乗ることを受け入れてくれない人たちがいるのだと理解した。

それも、親戚などではない。少し周りにいるだけの他人が無責任に否定をしてくるということを知り、とても悲しくなった。

夫婦別姓とか、夫婦が妻の名字を名乗るとか、本人たちが合意していれば誰にも迷惑をかけないはずなのに、どうしてこんなに受け入れられないのだろう。

男性側の名字を名乗ることに理由はいらないのに、女性側の名字を名乗ることにはなんで理由がいるのだろう。いちいち説明をさせたり、納得させろと言ってきたりするひとたちは、何様なの?

みんな、自分の思う当たり前に捉われすぎていないかな。自分と他人は別の人間なのだから、考えが違うのは当たり前。違うのは当たり前だと認めて許容し合うだけで、たくさんの人が救われると思うけど。

どうして自分の当たり前を守ろうとして、無責任に他人を傷つけるのだろう。

もっと多様性を認めあって、みんなに優しい世界になってほしい。女性が自分の名字を当たり前に名乗り続けられる世界になってほしい。男性にはあって女性にはない権利を得るために、前の世代の女性たちがそうしてきてくれたように、私も自分にできることをしていきたいと思った。

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,587件

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️