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ベルリンでの体験がまぶしくて胸が高鳴る

ベルリンは、夜の10時前。ついこの間まで9時には疲れ果てて寝ていたのに、今日の私はまだ地下鉄に居る。

ドイツにやってきて、1か月以上が経った。

知り合いは、いなくもないけど頼らないことにしていた。

ドイツ語はもちろん英語も話せない私は、クラスの友人の会話がすごい速さで進むのが羨ましかった。


だけど、学校に通い始めて1か月と1週間。気がつけば、急な食事会が開かれるような関係性がうちのクラスにもあって、私もその場に座っている。

いまでもドイツ語も英語も満足に話せない。アルコールを飲んでしまったらなおさらだ。

でも、たしかに目の前には関係性がある。嬉しい。私はこういう生活をしたかったし、この生活は日本では持てなかったものだ。


友人には、私と比べてひとまわり以上離れた子たちがいる。会えばあうほど彼女たちの魅力を知って、私はとてつもなく羨ましくなる。

言葉ができて、自分の意見を持っていて、議論もできる。ひとまわり若かった頃の私に、こういう意味での魅力があっただろうか。

魅力と書くのは、語弊かもしれない。魅力とは、誰かから誰かへの「評価」にあたるような言葉だからだ。

だけど、ここではあえて魅力と書いておく。なぜなら、私が彼女たちのその姿に惹かれているからだ。


ここでの体験は、私にとってはとてもまぶしい。

どちらがいい悪いではなくて、こんなにもフラットに、こういう議論が出てくる場所を、私はこれまでにあまり見てこなかった。

それは、韓国での留学時も同じ。各国から来た留学生同士でも、なぜか日本に近い雰囲気があって、深い議論を持つことはあまりなかった。

だけど、ここではもう目の前にその光景がある。私にはそれがまぶしく見える。まぶしいけれど、ちゃんと見ている。言葉が十分にできずとも。


そんな光景を目の当たりにして、胸が高鳴りながら帰ってきた。

願っていた環境が目の前に現れている、というよりも、目の前で起きたものを見て、私が触れたかったものはこれだと気づいている感覚だと思う。

そしてやっぱり、早く言葉ができるようになりたい。いまは私も意見を持っているから、出力の方法としての語学さえ身につけば話せる。

だから、ドイツ語を話せるようになりたい。早くみんなと、自分の意見を語り合いたい。明日の授業も頑張ろう。

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7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️