存分に見送られようと思う
渡独渡独とnoteでは言っている最近ですが、プライベートの友人たちにはあまり伝えていません。
なんだか見送ってほしげに思われるのも嫌だし、知らせた上で見送ってもらえないと寂しさもあるし、言わないのが一番だな〜と選択しました。
それでも、大事な人には伝えました。「ちゃんと見送りたいから、去るときには教えてね」と言ってくれた友人がいたから。
その、少数だけど大事な友人たちに見送ってもらって、ドイツに出国しようと思っています。
見送られるのは苦手
私はどうも、見送られることが得意じゃないと思うのです。
前職のとき、入れ替わりの早い職場だったので、見送る側はよく担当しました。企画をしたり、動画を作ったり、必ず最後まで飲み歩いたり。
でも、自分が見送られるのは気恥ずかしいし、期待したくない気持ちがあります。
自分が全力で見送っていた分、失礼な言い方だけど、見送りが期待ほどじゃないと感じたときに、ガッカリするからだと理解しています。
そんなこんなで、見送られることが苦手です。だけど、そんな私もたくさん見送ったもらったときがありました。約1年前、韓国への出国のときです。
存分に見送られようと思う
韓国へ出国するとき、関係性の長さにかかわらず、名残を惜しんでくれる方がたくさんいました。
東京に住んだのは1年半にも足らなかったけど、直接会って見送ってくれる方がたくさんできていました。
このときに、「見送り」という行為はお互いに大事なことだと知りました。
だから今回も、会える人には存分に見送ってもらおうと、今の私は思えています。
そう言いつつもご時世や事情もあり、今回の見送りはそう多くはありません。でも、それで良いのです。
見送りは、数ではないし、濃さでもない。その行為自体に、意味のあることだから。
見送ってくれる友人たちに感謝をして、存分に見送られようと思います。
▼韓国への出国時の「見送られる」話
▼退職準備〜韓国への出国の話
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