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何者かになろうとしている私がいる

今日は何を書こうかとnoteを開いて、下書きにこのタイトルを見つけた。

これを残したのは、今年の5月のこと。今から5か月前。

この時の私は、半年間の韓国留学から帰国したばかりだった。その上で、少し自分に疲れてもいた。

疲れて、何かを感じていたのだろうか。当時の私は、「何者かになりたい」自分を見つけていたようだ。


私はすぐ、何者かになろうとする


私が何かに焦っている時、起きているのはたいていがこういうことだ。無意識のうちに、何者かになろうとしている。

何者かになろうとする気持ちだけがあって、本心の気持ちが追いついていない。そんな時に、焦りを感じる。

私たちは、何者でなくても生きていていい。そのことを、最近読んでいるこの本で再確認している。


この本によれば、私たちは、生きているだけでたくさんのものを受け取っていて、この循環のなかにただ居ていい。

何かを返さねば、ここにいる価値はないなんて思わなくていい。お互いに、私たちはそういう存在である。

なのに、人はやっぱり何かになろうとする。なれないと感じて、心が焦る。私も例にもれず、すぐ何者かになろうとする。


何者かになろうとしている私がいる


いまの私はといえば、「何者かになろうとしている」ような感覚はない、というか、特に何も感じていなかった。

だけど、5か月前の自分が残したこのタイトルを見て、果たしてほんとうにそうだろうかと思う。

このタイトルを開き、文章を書き始めたということは、きっとまた何者かになろうとしているのだろう。


実際私はいま、私の人生におけるプロジェクトのようなものをいくつか同時進行で進めている。

ドイツワーホリへの出発準備や、個人事業の新サービス開発など。

私から湧いてくるwantに従っているけれど、「何者かになりたい」私が潜んでいるのかもしれない。


何者かになりたいことは、悪いことではない。自分の追い風になってくれるのなら、ありがたくこの感情を使えばいい。

だけど、気をつけなければいけないこともある。

私の中にいる「何者かになろうとしている人」は、「何者かにならなければ自分には価値がない」という考えを持っているのだろうということ。

そんなことはないと、くり返し自分に言いたい。私たちは、存在しているだけで十分だから。

何者かになろうとしなくても大丈夫。のびのびと、自分の好きなことをやっていこうと、いま私に伝えたい。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️