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一番身近な家族こそ、色眼鏡で見ないこと

最近の世の中は、フェミサイドや優生思想など、偏った見かたによる悲しい話が顕在化していると感じます。

偏見とは決して一部の特殊なひとだけが持っているものではなく、私や友人も含めて、誰のなかにもあるということが私の持論です。

偏見が顕在化することは必ずしも悪いものではない。なぜなら偏見とは昔からあったのに、それが問題だと捉えられずにきているものだから。でも、差別や偏見が顕在化しているいまだからこそ、みんなで気をつけたいことがいくつかある。

ふとこのようなことを思いました。


家族との会話にひそむ偏見


例えば家族間でどんな会話があるかというと、私の家族は私以外みんな肥満です。弟2人の合計体重は200キロを超えているし、母は私より小さいのに私よりもはるかに体重があります。

お互いの体型を指摘して笑い合ったり、そこからダイエットのモチベーションを得ていたり、そんな会話が日常的にあります。

肥満であることは健康上問題があることなので(例えばコロナのワクチン接種でも「基礎疾患あり」と認定される)、健康のために痩せようと声をかけ合うことは問題はないのかもしれない。

だけど、「太っていて見た目が気になるから」痩せようと話すのは、家族とはいえちょっと違うなと思っています。

偏見で無意識に傷つけない


「太っている」「痩せている」という見た目の話や、「男だから」「女だから」という性差の話など、私たちは偏見を簡単に口にする癖が染みついています。

例えば先日の帰省中、「女の子なのだから家の汚れているところに気づいて(率先して掃除をして)」と、不意に母に叱られました。

「女の子なのだから」とかいう性別の話は、私の家族内では比較的出ない話です。不意な性差による叱られ方にすごく驚いたとともに、私側には怒りや悲しみが湧きました。


自分が差別発言を受ける側になってみると敏感に反応してしまうけど、発する側にいるときは案外気がつかないものだとも思います。

母だって、私を傷つけようと思って言ったことではなかったと思います。同様に私がふだん家族としている肥満の話も、気づかぬうちに相手を傷つけていたのかもしれません。

見た目や性別を理由に周りがとやかく言うことは、権利でもなんでもないと思います。だけど実際は、コミュニケーションの方法であるかのように軽く発せられている。

軽く発している差別発言が簡単に誰かを傷つけるし、フェミサイドのような大きな事件にも発展していくから。

身近で最も気を抜いて話しがちな家族こそ、言葉で傷つけないようにしたい。その先にこそ誰も傷つけない世界があるし、私の周りから作っていきたいと最近思っています。

身近な存在こそ、色眼鏡で見ない


みなさんの持っている色眼鏡には、どんなものがありますか。

相手を傷つけない振る舞いをするには、まずは自分が持っている色眼鏡に気づく必要があります。

例えば私は、体型、性差、家族内での役(「母である」「長男である」などということ)などがすぐに思い当たります。だけど実際は、これ以外にもすごくたくさん色眼鏡を持っているだろうと思います。

気を遣う相手だけではなく、身近な存在も含めて色眼鏡で見ないこと。そして、不用意な発言で傷つけてしまわないこと。地道にみんなで努力して、改善していけるといいなと思います。

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