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どこまでいっても私の相棒は私

セルフパートナーシップという言葉を聞いたことがある。

私のパートナーは私。他にパートナーを持たないで、自分自身と関係性を育み、自分との暮らしを楽しむことと理解している。

独身で、恋人もおらず、数か月前からドイツに住み始めた私は、自分とパートナーシップを持つという状態に満足している。

自分がパートナーでも、やっぱりうまくいかない時もあるけれど、私はこの状態がとても好きだ。ベルリンで自分との生活を毎日楽しんでいる。


今日なぜこのテーマで書こうと思ったかといえば、最近私のなかから邪魔をしてくる存在がいることを自覚しているから。

そして今日、私が通う&お仕事をさせてもらっているスクール・シーライクスのアワードを見て、自分とのパートナーシップのことを考えたから。

私の相棒は私だということに、いま一度向き合ってみたくなった。

▼アワードとはこのこと


私を邪魔する私のなかの他人


結局、私の未来をもっとも邪魔をするのは、私のなかにいる他人なのだと思う。そんな言葉が数日前に浮かんで、noteの下書きにメモをしていた。

私の未来を邪魔するのは、本当の意味での他人ではない。他人を内在化させてしまった存在、つまり私のなかに住む他人が、私の未来の邪魔をする。

他人とは、外にいる本物の他人は、物理的に私に何かをしない限り、私の邪魔をすることはできない。

そんな他人は幸いにも私の近くにはいないし、そういう意味で私の邪魔をする他人というものは存在しない。


だけど、私が私のなかに住みつかせた他人は、簡単に私の邪魔をする。「そんなことできるの」「できなかったらどうするの」と、私に声をかける。

この意味での他人は厄介だ。私のなかに住みついているから、いつでも声をかけてくるし、その声がどこから来ているのか区別がつかないこともある。

私は私のなかにいる他人に、常に用心深くある必要がある。


自分とのパートナーシップ


今日のアワードを見ていた時、私は終始感動しっぱなしだった。

感動という言葉があっているかと言われたら、自分でも正直よくわからない。だけど少なくとも、私はずっと涙を浮かべて聞いていた。

アワードを見ていた私は、何にこんなにも感情が揺さぶられるのだろうと、ずっと思っていた。

それも、涙が流れてくれればいいのだけど、微妙に流れないほどの涙で、だから感情が消化されずに残っている感覚だった。


私は、この受賞された方たちのストーリーに、どんなことを感じているのだろう。何を揺さぶられるのだろう。

そう思いながら早めのシャワーを浴びて、パソコンに向かったいま。自分とのパートナーシップという言葉が、1つしっくりきているところ。


受賞された方たちは、ご自身とのパートナーシップをしっかり結ばれていて、だからご自身の思う道を歩まれているのかもしれない。

私はその姿がまぶしく見えるのかもしれない。いまの私には、私の未来を信じてくれない内在化された他人がいるから。

なお補足をすると、ここでいう「ご自身とのパートナーシップ」には、他にパートナーがいるかということは含まない。

あくまでご自身のなかで、ご自身とのパートナーシップが築けているかということ。その意味合いでのパートナーシップの話とご理解いただければ。


どこまでいっても私の相棒は私


アワードを見終えて数時間が経ち、私はこういうことが言葉になった。どこまでいっても、私の相棒は私。

うーん。自分と向き合うということは、ほんとうにいつまでも私の人生のテーマだなぁ。

完了というものはきっとなくて、次から次へとテーマがやってくる。私の人生につきまとうもの。嫌いではないけれど。


どこまでいっても、私の相棒は私。私には私しかいない。そう思っていても、自分との関係性を良好に保つのは難しい。

それでもこうして、事例を見せてくださる方たちに出会えているのはラッキーだ。イメージのできないことは、なかなか実現ができないから。

今日のアワードに参加してとてもよかった。

いただきもののワインと、昨日買ったチップスを片手に見るつもりだったけど、興味深いお話が多くて、結局全て終わった後に食べた。(サムネ参照)

私は私のペースと方法で、自分とのパートナーシップを育み、やりたいことを叶えていこう。今日からの私も焦らずにやろうと思う。


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