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気づいたら、涙をこぼしながら話していた

昨日私は、なんとも言葉に表現しがたい経験をした。

だけどすごく大切なことだったから、言葉にしておきたくてここに書いてみる。

10年以上前に亡くなったおじいちゃんと、私たち家族のこと。


韓国でできた友人との旅


11月から韓国に住み始め、今月末で帰国をする。

この半年のうちに一度も旅行に出たことはなかったけど、最後に思い出を作ろうと誘ってくれたクラスメイトのおかげで、私はいまチェジュにいる。


この旅は韓国での半年を労うもの、ご褒美であるものと理解して、私はここに来くることにした。

来てみたら期待よりも遥かに楽しくて、こんなに楽しくていいものなのかと戸惑ったりもしながら。


たった半年の滞在なのに、ここには大事な友達がたくさんできた。

大事なものが増えたことにさらに戸惑いながら、だけどあえてここに「(関係性を)置いて帰る」ことを選択して、私は最後の期間を過ごしている。


何年前の話でも、いま味わい直してみてもいい


大事な友人たちとの今回の旅。

心から楽しい時間もあれば、実は互いに難しくて苦しい時間もあった。

それで、なぜなのかはわからないけど、私は気づけば祖父の話をしていた。

寡黙で体が弱くて、私たち家族にたくさんのものを残しながら、この世を去ってしまった祖父のこと。

もっとそばにいたかった、大人になったらもっと話をしたかったおじいちゃんのこと。


気づいたら、涙をこぼしながら話していた


ああそうだ、私はおじいちゃんともっと話をしたかったんだ。それで、おじいちゃんの死のことも、もっと家族や誰かと話したかったんだ。

昨日の話を思い出して、いままた改めてこんなふうに思っている。


私たちにとってはあまりにも急で、後悔の多かったおじいちゃんの旅立ち。

だけどもしかすると、おじいちゃんはもっと早くから準備を始めていたのかもしれない。昨日話していたら、初めてこんな言葉が口から出てきた。

多くを言葉にしないけど、佇まいから愛を感じる人だったから、もう私たちの気づかないところで準備をしていたのかもしれない。

おじいちゃんの最後の愛として。


おじいちゃんのことは、おじいちゃんがいなくなってから何か月も何年も家族との話題にあがった。

こうやって、みんなでおじいちゃんの死を味わった。

と言いつつも、私たちはあくまで想像しかできない。しかも当時まだ子どもだった私は、親たちの想像をそのままに受け取るだけで精一杯だった。


それで、大人になった私が味わい直すのが昨日だったのだと思う。

誰かに話すことで経験をし直して、この時のおじいちゃんはこんなふうに考えていたのかもしれないと言葉を新たに加えて、親たちの想像の受け売りではなくて、私の想像として私の一部になった。

こんな過程を一瞬にして経ながら、私たちは涙をこぼして話していた。きっとかっこいいおじいちゃんだったよねと、友人に言葉をかけてもらいながら。


海外に出たい思いには、先祖の思いが含まれていて、旅先には先祖もついてくると聞いたことがある。

おじいちゃんも、この旅についてきてくれているのだろうか。私が見ている美しくて初めての景色を、一緒に見てくれているだろうか。

体が弱くて自分で運転もしなかったおじいちゃんだったから、ここまでついてきてくれているといいなと思う。


また涙をこぼしながら、このnoteを書きあげた。10年以上前のことで、涙を流すとは思わなかった。

きっとすぐ近くに、おじいちゃんがいてくれているのだと思う。あともう少し、美しい景色をみてから帰ろう。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️