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気づいたこと日記

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日々の気付きを日記にして残していきます
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年間読書0冊の私が、2週間で1冊を読むようになった理由

小学生の頃、私は読書が好きだった。でもそれは、読書自体が好きというよりも、aimiちゃんすごい!と言われたくてやっていた読書だった。 そんな動機なので、大人になるとまったく本を読まなくなった。読むとしても、たいていが義務感で読んでいた。 でも今年になって、初めて『楽しく読む』感覚がわかった。年間読書0冊だった私が、なぜ読書ができるようになったのかを書いていく。 読書とは、『一言一句逃さず読むこと』では無い 私はずっと、読書とは筆者が書いていることをすべて理解するように努

ひたすらに悲しい、ウクライナのこと。

ロシアとウクライナの件で、悲しくて怖くてテレビをつけられない。 いま私は服も着替えないままにベッドに横になっていて、ネットで情報を収集したり、私にできる限りの発信をしたり、せめて何か支援できることはないかと調べたりしている。 自分に出来ることがあまりにも少なくて、口座の問題で送金すらもできなくて、無力感に苛まれている。 きっと数日もすれば他の手段ができるだろうと思いつつ(いままでも他の手段にたどり着いて海外にも寄付をしてきた)、戦争という事態でもそれが通用するのかと不安

付き合うひとが変わる時

2021年は、私にとって変化の年です。 フリーランスになると決意して勉強を始めたし、3月からは毎日noteを書いているし、ヨガを始めたら7〜8kgやせて着る服が変わったり、たくさんの変化があります。 変化がある時にやりたくなることが断捨離です。つい最近も脱皮をしたくて、モノの整理を始めました。 私がモノを手放すときは、気持ちの整理をしたいとき。だけどモノを無駄にしたくはないので、基本的にリサイクルや寄付に出しています。 新たなモノを迎える分、自分に不必要なものは積極的

自然に包まれる

この週末は地元の自然を堪能した週末でした。 ふだんは東京で暮らしている私。東京にも意外と自然はあるし、ひとの多さは思ったほど気にならないし、地元のようなたくさんの自然に囲まれたいなんて、特に思ったことはありませんでした。 だけど、実際に囲まれてみたら感じることがたくさんある。人間にはやっぱり自然が大事なんだな。 そんなふうに感じたので、書き残しておきたいと思います。 風景から思い出される記憶 この数日は、昔遊びに行った場所を中心に訪れました。 ふだんから思い出す場所

田舎出身だけど、車の運転を手放すことにした

日本で暮らしていると、首都圏などの都市部出身でない限りは車の運転からは逃げられない。田舎出身者としてそう思っています。 電車が通っていないほどの田舎出身なので、実家に帰ると車がなければどこにも行けません。地元に帰るたびに実家のミッション車を借り、ひとりで運転をしてはおばあちゃんに会いに行っていました。 地元では、車がなければ生活ができない。だから帰省をした時だけでも運転をして、運転の感覚を鈍らせないようにしないといけない。ずっとそう思っていました。 だけど、案外「私」が

自己肯定感は低いけど、自らの能力を肯定したい

みなさんは、自分ができること・得意なことを、自信を持って言えますか? 私は言えないタイプです。というかそもそも、ひとよりできるものを見つけられないし、誰かに褒められても素直に受け止められません。 厄介だなと自分でも思います。でも性格は急には変わらないし、厄介ながらも自分とそれなりに付き合ってきました。 だけど最近、これは自分の能力として認めても良いのかもしれないと思えるものがたびたびあります。 厄介な性格でネガティブな私がそう思えるようになったのは、完全に周りの影響で

30歳という分岐点

久しぶりに地元の友人たちに会いました。 コロナの影響でずっと会えていなかった友人たち。コロナがなければ年に3〜4回は集まっていましたが、今回集まれたのは1年半ぶりです。 近況報告をし合っているつもりでいましたが、会って話してみるともっと具体的な近況報告がちらほら。オフラインで会えることの重要さをまた改めて感じました。 30歳という歳 日々意識して過ごしているわけではないけど、やっぱり30歳になるということからは大きな影響を受けるのだなと思います。 例えば私。29歳にな

とまり木を飛びまわる

すこし前、会社の同僚と話していた時に、私はずっととまり木を探しているようだと言われました。 自分ではそう思ったことはありませんでした。でも確かに私の人生や恋愛とはそんな感覚かもしれないと、スッと腑に落ちる感覚がありました。 どこかに定住する未来はいまのところ見えないし、恋愛は1対1よりも複数愛のほうがしっくりくる。 常に自分の居心地の良い場所を求めて飛び回りたい。私の人生の根底には、この考えがあるんだろうなと納得しました。 私にとってのとまり木 私にとってとまり木とは

叶えたい未来を既に叶えている同年代には、正直嫉妬してしまう

あと少しで夏休み。夏休みは9連休なので、副業や勉強を思いっきり楽しもうと思っています。 今年の3月からライターの勉強を始め、7月からはコーチングの勉強も始めました。 いままでは一介の会社員でしかなく、自分のやりたいことよりも会社から求められることをしてきました。だから、自分がやりたいことを仕事にする挑戦を、30歳直前にして初めて行っています。 既に何者かになっている同年代に嫉妬する 最近気づいたこと。私が叶えたいと思っている未来を既に叶えている同年代の方に、嫉妬する感情

「選ばれること」で自己肯定感を満たさない私に

「選ばれたい」という感覚は、男性も女性も持っているものだと思います。 例えば仕事で認められて昇進したいとか、恋人に結婚したいと思われたいとか。 誰かに認められることは自尊心を満たしてくれるので、「選ばれたい願望」はひとのベースにあるものだなと思います。 「選ばれたい」と思っていた私 最近思うのは、「選ばれたい願望」に支配されないことの大切さです。 アラサーの女性として思うのは、生きてきて約30年、「選ばれる」感覚に影響されすぎてしまったなということです。 男性が結

コンプレックスを抱えるきっかけ

私の足には、小さい頃にクラゲに刺された痕があります。 すごくハッキリしているわけではないけど、そこにあるとわかる痕。ふくらはぎにあるので、着る服によってはわりと見える位置にあります。 このことはもちろん知っていますが、存在を意識したことは実はあまりありません。数日前、日課のヨガ中に痕が意外と濃いことに気づき、久しぶりに意識をしました。 クラゲの痕を見て思ったこと しっかりと見える場所にあるこの痕。小学生の頃に刺されたので、もう20年ほどここにあります。 だけど私はこの

気を遣う友人は親友ではないのか

最近気になることがあります。 どちらかが気を遣うことで成り立っている友情を、親友と呼んでも良いのかということです。 定義はひとそれぞれなので、思い悩むことではないとわかってはいる。だけど、親友を親友と紹介するたびに「私は本当に親友と呼んでもいいのだろうか」と考えてしまいます。 10年来の親友 私には大事な親友がいます。 ずっと女性の友人が少なくて、2人で会える友人はもっと少ない私。なぜなのだろうと思っていたのですが、スクールカーストの強かった中高時代のおかげで、女性

時間をあえてなくすこと

私はいま毎日noteを書いています。先日noteを書いて90日を超えました。 noteはたいてい朝の始業前に書くのですが、今日は時間がなくてランチタイムに書いています。いつもよりも始業時間が早いことと、昨日夜更かしをしてしまったせいで、今日は朝書くことができませんでした。 それで、気づいたことがあります。 あえて自分の時間をなくして、無理やりにでもやるのは大事だなということです。 noteは日課にしたいので、今日noteを書かないという選択肢はありません。 だけど、

お互いの人生を観測する

みなさんは、お互いに人生を見ていきたいなというひとはいますか? 私は最近、そう思うひとが増えてきました。 「人生を観測する」という感覚はつい最近気づいたことです。 ただ単に報告をしあうだけではなくて、ここが変わったね、私たち大人になったね成長したねと気づき合う感覚。 また、自分が実現できない、違う人生を擬似体験する感覚が楽しいなとも思っています。 人生観測をし合っている友人 私にはもうかれこれ10年以上、お互いに人生観測をしては、自分と違う人生の話を楽しんでいる友人