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とまり木を飛びまわる

すこし前、会社の同僚と話していた時に、私はずっととまり木を探しているようだと言われました。

自分ではそう思ったことはありませんでした。でも確かに私の人生や恋愛とはそんな感覚かもしれないと、スッと腑に落ちる感覚がありました。

どこかに定住する未来はいまのところ見えないし、恋愛は1対1よりも複数愛のほうがしっくりくる。

常に自分の居心地の良い場所を求めて飛び回りたい。私の人生の根底には、この考えがあるんだろうなと納得しました。

私にとってのとまり木


私にとってとまり木とは、具体的に何を指すのか。例えば先述した住む場所はもちろんそうですし、恋人や仕事もそうなのだろうと思います。

どこか同じ場所で同じ生き方を続けることは、向いていない自覚がずっとあります。だから、数年おきに異動があるいまの仕事環境は合っているなと思います。

仕事がガラッと変わっても良いし、住む場所がまったく変わっても問題ない。環境の変化が私の人生の刺激になるし、なければ退屈して自ら飛びたってしまうと思います。


一方で、恋人は一度付き合えば長いほうです。学生の頃から1年以上付き合うことがほとんどだったし、直近の恋人も2年以上付き合いました。

だけど、いま考えてみれば恋人がいない期間が長くあったり、そんなときはいろんな方と知り合ってみたりして、「木を渡っていくこと」が心地よかったなと思います。

逆に恋人と長く付き合っている時でも、お互いに大事にできていないときはとても苦しかった。

私にとって「苦しさ」は1つの重要なキーワードです。苦しくなくて居心地がいい環境や関係性が他にあるなら、お互いに1つの方法にこだわらなくて良いと感じます。

実家とはとまり木である


ここ数日で気づいたのが、実家や地元も、私にとってはとまり木であるということです。

私は地元がとても好きです。食べ物は美しくて美味しい。夏の晴れた日の風景は最高で、ドライブするだけで幸福度が上がる。友人に会うと心が癒されるし、実家は家族からの愛情を感じられる場所。

地元とは、私の大切なものが詰まった場所です。


だけどなんとなく、地元は私の定住の土地でないという感覚がずっとありました。

自分でも、ずっとなぜなのかがわかりませんでした。でもこの数日で急にしっくりきたのが、「地元や実家も、私にとってはとまり木である」という感覚です。

私が行ってみたい場所や住んでみたい土地は他にたくさんあるから、私の時間の大半はそちらに使いたい。だけど、大事なものが詰まっていて私を受けとめてくれる地元には、羽を休めに帰りたい。

そんなふうに思いました。

とまり木を渡っていく


みなさんは、とまり木を渡っていくこととどこかに留まること、どちらのほうが好きですか?

私の場合はとまり木を渡るように環境を変えていくことが好きだと気づいたので、この先しばらく意識してみようと思います。

居心地がいいことと、苦しくならない環境にいることが私にとっては大事。だから、自分の感情と向き合いつつ選択でれば素敵です。

そのためにも、いま取り組んでいる学びに集中したり、チャンスは逃さず挑戦したりと、前進していきたいと思います。


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