Eme suzuki(からだのアトリエ バオバヴ )

おどったり、からだを整えるワークショップを行なったり、子ども達とヨガをしたり…… 様々な身体表現にまつわることをライフワークとしています。noteでは、療育に関するからだの勉強会やWSのレポート、観察日誌等を掲載しています。(参照HP:baobab-karada.com)

Eme suzuki(からだのアトリエ バオバヴ )

おどったり、からだを整えるワークショップを行なったり、子ども達とヨガをしたり…… 様々な身体表現にまつわることをライフワークとしています。noteでは、療育に関するからだの勉強会やWSのレポート、観察日誌等を掲載しています。(参照HP:baobab-karada.com)

    最近の記事

    療育にまつわる「からだ」へのまなざし vol.45

    先月の「バオバヴカフェ」では、再び「ポリヴェーガル理論」について。詳しくは、下記に花沙さんが、書いてくださっているので、そちらにて。後半は、現場での具体的な事例について、皆さんと状況をシェアして、意見交換。その時に、その子のからだの様子はどうだったのか…そう動く理由がそもそもないんだよな…?といったような、からだへのまなざしを、忘れないようにしている。複数の方とまなざしを共有するすることで、いろんな事象の可能性が浮き彫りになることも。 次回も、ポリヴェーガル理論の続きを行うの

      • 療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.44

        先月は、引き続き、子どもの脳と身体・感覚とのかかわりに着目した9つの大事なことについて…を、書籍を軸にシェアしていきました。子どもと関わる側の「からだ」が、ゆっくり、ゆるやかに、でも、力強くそこに「いる」ような、そんなことを問われているような、いい意味で身の引き締まる内容でした。ムーヴメントを通して、様々なこどもと関わっている方には、一度は「ここ」を通過することをおすすめしたくなるような、そんな書籍でありました。「ここ」とは、おそらく、おどるときの、土台となるような、そんなと

        • 療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.43

          先月のバオバヴカフェでは、ここ最近、ご参加くださっている方のお薦め本を、皆でシェアしました。子供と関わることに際して、9つのポイントが簡潔にあげられているのですが、どれも、このカフェのテーマである「療育にまつわる「からだ」へのまなざし」へのヒント満載で、9つのうち、5つまでにとどめて、活発な意見交換がなされました。そして、もう一つは、下記に花沙さんが書いてくださっていますが、田中茂樹氏の文章を皆でシェア。子供のことを考える時、一番近しいであろう、「親のからだ」をみていくという

          • 療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.42

            1月のバオバヴカフェは、「オープンダイアローグ」と、現場の事例のシェアを行いました。たとえば「工作の時間(放課後デイ)に、どうしてもカッターを使いたいという子の対応について」。参加者の皆様の柔軟性もあって、幾つかの方法が爽やかに提示され、こういう話し合いが、いろんな現場でも気軽に行われていますように、と願った1コマでした。 (特に特性を持つ)お子さんにとっての最適解は、一般論や先生の教育方針だけではなかなか難しいところがあります。最近、ギフテッドへの対策が、国内でもなされてい

            療育にまつわる「からだ」へのまなざしVol.41

            12月のバオバヴカフェでは、下記の書物について、シェアしました。いつも、花沙さんが、タイムリーな情報提供をしてくださいます。今回の内容も、本当に「うんうん」と、頷きっぱなしで、最後の1行は、本当にそうで、特に、私が定期的に足を運んでいる放課後デイでは、顕著な事例がわんさかあります。 今回は、現役の保育士さんの、加配に関する現場のお話も加わり、実り多き時間となりました。 (文責:花沙) 今回は、「子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方」(アデル・フェイバ他共著

            2023年に寄せて

            2023年、いかがお過ごしでしょうか?  昨年は、コロナに始まり、コロナに終わる、とまではいかずとも、家族をはじめ、「コロナ」に向き合わざるを得ない年でした。今年は、もうそろそろ、「コロナ」を忘れる程、駆け抜けたいところでもありますが…… さて、先月のバオバヴカフェ。長野県からの参加者もあって新鮮な風が吹くような、そんなカフェとなりました。現場の話は、いつも貴重で、当たり前なのでしょうが、発達に特性があること、ないこと含め、子どもたちにおいて、「自発性」「意欲」という言葉

            療育にまつわる「からだ」へのまなざし vol.40

            先月のバオバヴカフェは、引き続き「感情の社会化」について。こういっては、もともこもないのだけれど、そもそも「感情」がよくわからない、そういう気持ちが湧いてこない、理解できない・・・という、つまりは「サイコパス」的な層が、存在する。「感情」が在るとは、まず実に大切なことだ。ということから、おしゃべりがスタートしたように思う。 そして、発達に凸凹がある子供たちの中にも、「感情」がよくわからないという子は多い。ただ、ここで注意したいのは、からだに起こる「もやもや」としたものに、名づ

            療育にまつわる「からだ」へのまなざし vol.39

            「小学校1年生の女児が、先生のひざの上に座っていた。その子がふとした拍子に、別の場所に移動したとたん、ほかの場にいた男児が、ひょいとその先生のひざに座った。それに気づいた女児は、「そこは私の場所!」と言って、その男児を押し倒してしまった。男児は「いたい」と大声を出して、怒った。そのとたん、大人が、女児に「押したらあかんよね。あやまろうか」と声かけをはじめた・・・」 こんな事例があったので、下記にある「感情の社会化」と合わせて、考え合ったのが、今回のバオバヴカフェの主な内容で

            療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.38

            9月のバオバヴカフェの前半では、「ヴァルネラビリティ」「セルフアドボカシー」「恥」「感情の社会化」「偽りのない心の人達」などのワードが印象的だった。現実に起きている問題に、ヒントになるかもしれない、、と思考をめぐらすこと、、こういう作業は大切だ。これまでもやってきているはずだが、改めてこういう場の有り難さを想う。 後半は、支援の現場での実例から、「当たり前」を外すということについて。支援者側の「当たり前」が無意識に支援のふるまいに滲み出ることの、繊細さをおもう。だから学びが

            療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.37

            8月のカフェでは、「SEL」と、「こども基本法」について、お話しました。前者については、後の花沙さんに譲るとして、後半の「こども基本法」について。ともかくも、なんら、批判したくなるような事柄は書いていないし、これが基本なら、こどもたちも大丈夫と思える内容です。が、自身のこのモヤモヤは、何だろう。下記の花沙さんも「モヤモヤ」という言葉を書いているのだけれど、今回扱った2つのテーマは、どうも、カフェで普段話題にしている、発達に凸凹のあるこどもたちを素通りしていく感覚がありました。

            療育にまつわる「からだ」へのまなざし vol.37

            7月のバオバヴカフェでは、「内的家族システム療法」について、「ソマティック」なアプローチが必要だ、ということを改めて確認したり、小さな子供にとって、信頼できる大人の必要性など、当たり前と思われがちなことを、丁寧に確認していくことをシェアした。また、親の会での会話より、「今できていないことを、未来に心配している」という話題も出た。また、療育機関において、「自立」という言葉が、「健常児」(という言葉をあえて出すのだが)に近づくように「訓練する」ことと交錯して使用されている例など、

            療育にまつわる「からだ」へのまなざし  vol.36

            今回、「愛着障害」について、「(誰にでもおこりうる)関係性の障害」ということを確認しつつ、(一見関係のない)ちょっと興味深い話が出た。カウンセリングを受けていると、仕事用のからだになることがある、というものだった。からだがじっとして、せき止める役目をしているというものだった。こういうからだの状態が、日常生活でずっと続いているこどものからだがあることを、知っているのかな・・と思う案件(大人がこどもを羽交い絞めにする)が先日、身近な現場であった。そして、この日も、発達に特性のある

            療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.35

            今回は、バオバヴカフェでは、なじみの深い「ソマティック」という言葉について、とある団体の資料をもとに、おしゃべりしました。療育において、このあたりはどう扱われているかも含めて。 例えば、身体教育の1つとして、野口整体、野口体操、ロルフィング、アレクサンダーテクニックなど、身体心理療法として、フォーカシング、ゲシュタルト療法など、身体技法として、合気道、古武術、滝行など…が挙げられていて(この分類の是非はともかく)、 「ソマティック」のイメージは、なんとなく伝わるでしょうか。

            療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.34

            4月のバオバヴカフェは、からだとこころの関係について、長年取り組まれている方の参加があり、ポリヴェーガル理論から、多岐に話が拡がりました。その中で、「今年から法的には18歳以上が大人になるけれど、からだがついていかない」子が、身近にいる、というお話になりました。この、頭ではわかるけど、からだがついていかない、という感覚…これは、大人の生活の中にも結構たくさんあるシーンだと思われます。「実行できない」「やりたくない」「起きれない」「取り組めない」…など、この感覚がどこから来るの

            療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.33

            今回は、以前から気になっていた、ポリヴェーガル理論を中心にお話。 どんな理論かというのは、下記の、花沙さんからの内容に譲るとして、 私が気になるのは、ここが、意識ではなく、無意識の領域であるところだ。 今、小学生の療育の現場に触れることが多い中、子ども達は、言語に翻訳されて指示を受けることが圧倒的に多い。「○○ちゃんが叩いたのは何でかな」「悪いのはどっちだろう」…… 無意識に働きかける、例えば感覚に働きかけたり、ムーブメントでからだに働きかけたり…といったものは、言葉を介さ

            療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.32

            昨年11.12月のバオバブカフェの様子について・・ちょっと遅くなりました。 11月は「MSPA」という検査法についてシェア。12月は「臨床心理士と公認心理士について」や「兄弟げんか」「通級について」なども。この2回は、実際に起こった出来事について、対話を行うシーンが中心だった。 下記に、参加者の花沙さんがいみじくも最後のほうに記してくださっているのだが、バオバヴカフェでは、(発達に特性のある)こどもたちへのまなざしを拡げるヒントになるようなことを話す。いや、話したいと思いな