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2022年秋、「日本バスケ界が1人でも多くの人間に愛されることが叶う」ための方法論の私見(その1)。【バスケ】【Bリーグ】【NBA】【エッセイ】

 プロローグ(今回のエッセイ執筆のきっかけとなった記事及びツイート)。


 (←今回のエッセイ執筆の最大の理由・きっかけであるのが、リンク添付のこの記事です。
 「NBAとBリーグのファン層は別? Bリーグ開幕と被ったNBAジャパンゲームズから見えた本当のところ」が、記事タイトルです。)


 (←青木美帆さん。バスケファンならば、御存じの人間が恐らく多いのでは?というライターさんです。
 ツイートのリンク添付を2つさせて頂いてますけど、ここで特筆は「特に1つ目のツイートの、引用ツイートでのバスケファンの反応」。
 「77の引用ツイート」がありますけど、その内容が実に多様で、「1人の人間・1人のスポーツファンの両面で」とても学びになってます。)


 (←今回の記事の執筆の大きなきっかけの一つになったツイート。ツリー状になっています。ツイート主は、いわば「NBAファン」。
 文章の趣旨は、自分とは考え方が異なる感じですけど、それをも含めて学び感じることがあり、今回の記事執筆の大きな一つになってます。)


 Bリーグ開幕(10月1日)
 (厳密には、「9月29日」に1試合[名古屋Dvs三河]、開幕戦があったけど、配信のみでだったので、この表現にしてます。ちなみに9月29日は木曜日、10月1日は土曜日です。)

 NBAジャパンゲームズ(9月30日、10月2日)
 (ウィザーズvsウォリアーズ。ウィザーズには日本人選手である八村塁が在籍。会場はSSA[さいたまスーパーアリーナ]で、両日ともに満席だったとのこと。
 ちなみに「プレシーズンゲームでの開催」の位置付けでした。)


 今回の記事執筆。自分自身、「書く」ことが生きる道になり、この2022年は「辿り着いた新しい自分の1年目」です。
 で、自分自身の問題関心のメインテーマは「スポーツ」「社会貢献」の2つ。特に「スポーツ」により大きな軸足があり、その中でも「バスケットボール」は(「野球」と共に)大きなメインフィールドの位置付けです。

 自分自身は、スポーツは「観る」に特化している人間です。「する」については、「身体を動かす」こと自体は好きですけど、正直に述べると「才能」は全くない。学校のスポーツテストは、小中高を通して「学年で最下位から数えた方が早い」、「25mを泳げない」、そのような人間です。
 ですけど、スポーツを「観る」ことは大好き。いま自分は「38歳」ですけど(1984年生まれ)、人生を振り返ると、節目・転機で「スポーツ観戦の記憶」がいくつも出てきます。


 「スポーツ観戦」、自分にとって「心の原点」であるのが、1998年夏の高校野球の選手権大会。いわゆる「松坂世代」の夏大会で、特に優勝した横浜高校の「ラスト3試合」は、それこそ「永遠に語り継がれる」伝説です。
 その中でも、準決勝の「0-6からのラスト2イニングでの『奇跡の大逆転サヨナラ勝利』」。この試合の生観戦が、自分自身の大きな「心の原点」です。というのも、この当時の自分は「中学2年生」でしたけど(中学3年生まで、阪神甲子園球場がある西宮[兵庫県]に住んでいた。その後は大阪)、このときの記憶は、いまもずっと自分自身の「心の支え」「誇り」であり続けています。つらいとき・苦しいときに直面すると、「あのとき自分はあの感動を経験できたんでしょ?」と自分を奮い立たせる一助になってますし。

 あるいは、「2004年10月10日」。八木裕の引退試合。
 当時の自分は「20歳」、大学2回生。この試合、「阪神vs巨人」でしたけど(会場は勿論、阪神甲子園球場)、実はこの試合は「雨天中止で急遽開催が決まった、もとは予備日の試合」で、いまでは野球では貴重かなですけど、「当日券で朝から並んで入手できた」試合で。自分にとっては、生まれて初めての「阪神vs巨人」の試合でもあって。
 八木は、選手時代は「阪神一筋18年」でした。で、こうして引退試合を生観戦したのは、シンプルに「好きな選手の一人」であったから。それがなんと「本拠地での巨人戦」、野球選手にとって最高名誉の舞台。
 この試合、八木は代打での出場、右前安打で有終の美を飾り、引退挨拶では号泣であったことも、自分的にはとても感動でした。
 「だから野球は、だからスポーツは素晴らしい!」、それを子ども心にとても強く感じた、いまでも「人生の誇り」である素敵な記憶です。


 その後、2008年頃ですかね、自分がバスケットボールを観るようになったのは。NHKのBS1で、たまたまNBAの試合を観ると、「あっ、とても面白い!」と。当時はセルティックスの「BIG3」(ピアース、ガーネット、アレン)が結成されたときでしたけど、うまく表現できませんけど、「野球・サッカーとはまた異なる魅力」というのを感じたんですよね。
 ですけど、バスケの試合を観るようになったといっても、「専らNBA」で。国内バスケの試合を観る機会は、当時は正直ありませんでした。

 で、2010年。この年、町田瑠唯(現富士通)を擁する札幌山の手が「高校3冠」を叶えました。このときのウインターカップ、正直とても強い衝撃で。当時の町田は確か「公称160cm」でしたけど、「小さくても工夫次第でバスケでこんなに輝けるんだよ!」と。
 当時の町田の何がすごいって、視野の広さもですけど、守備意識の高さもすごくて。「賢いなあ」と正直感じたんですよね。
 ちょうどこの2010年(つまり同じ年)、NBAのヒートで、いわゆる「スリーキングス」(レブロン、ウェイド、ボッシュ)が結成されて、バスケットボールへの興味がより強くなっていたタイミングであることも、町田の輝きにより心を惹かれた一因であると感じます。


 で、2016年。紆余曲折を経て、「Bリーグ」誕生。
 (バスケファンならば御存じの人間が多いかなですけど、)日本バスケ界は、それまでいわゆる「分裂状態」でした(「JBL/NBL」[旧実業団が中心]と「bjリーグ」[完全プロだが、競技環境では見劣り感が]の分裂状態)。なぜ自分が国内バスケと「心の距離」が生じてたかというと、シンプルに「テレビで観る機会が物理的になかったから」、これに尽きます。
 「Bリーグ」が誕生してからは、生観戦の機会はなかったですけど、テレビであるときは、時間が合えばですけど観てはいました。でも、いまのように「とても強い熱量で楽しむ」とは、正直想像していませんでしたけど。

 そんな中で、2019年。「河村勇輝(現横浜BC)の躍動」。その前年から、福岡第一で「とても質の高いプレー」で、高校バスケを席巻でしたけど、高校3年生になったこの年、その衝撃は町田を凌駕する、まさしく「異次元」の感じでした。
 特に、ウインターカップ決勝での「vs福岡大大濠」。最終スコアは「75-68」でしたけど、得点差以上に内容がとても濃密で。ラスト、大濠の横地の「渾身の3Pシュート」、そして御互いを称える姿に、「だからバスケットボールって素晴らしいんだ!」と、とても心を揺さぶられたんですよね。いま思えば、この試合は「いまの自分をつくる大きな転機」と感じます。


 この、2019年のウインターカップ決勝の「福岡第一vs福岡大大濠」での感動のタイミング。このとき、Bリーグは4年目になっていて、NHKBS1での放送数も、コンスタントになってきていました。それもあって、テレビで観る機会は増加傾向になっていました。
 そうだ、時間が合えば、せっかくだしBリーグの試合、観たいなあと。「生観戦だからこそ感じられることの経験」は、いままででもいくつものスポーツ(野球・サッカー・陸上など)で経験しているからと。
 自分の場合、地元は関西(大阪)ですので、候補になると大阪、京都の試合になる。せっかくだし、大阪の試合を第1候補にと。でも、なかなか日程が合わない。

 そんな中で、年が明けて2月8日土曜日。ようやく日程が合って、「大阪vs秋田」。この試合を観ることに。日程的なことに加えて、秋田は「バスケ熱が高い地域性」であること、相手関係的には「ほどよく高い」感じでもあるので、生観戦の最初という意味でドンピシャではという判断からです。



 最終スコアは「76-72」、大阪が勝利。1点を争う、展開がめまぐるしく動く好勝負でした。気が付けば完全に「没入する」感覚になっていて、もうすっかり「魅了されている」自分がいた。
 特に終盤、相手(秋田)が、爆発力が魅力の細谷(現三河)にボールが入った場面があって。このとき「74-72」でしたけど、「3Pを楽に打たせないで!」と、気付けば声が出てました(結果は3P試投は許したけど失敗で、この時点で事実上の「勝負あり」、直後に大阪の速攻が決まって橋本の2Pで「76-72」、そのまま試合終了に)。

 後で述べるかなですけど、この「実際に生観戦してこその魅力」を体感して、これは「とても大きな転機」になりました。で、この試合から程なくして、いわゆる「コロナ危機」に突入になり、Bリーグは結局中断(そのまま終了)になります。生観戦のタイミングの機会を失っていたら、「いまの自分はいなかった」訳です。で、現在に至ります。


 「スポーツ観戦」自体が、自分にとっては「生きることそのもの」の感じです。例えば高校野球は、夏の大会の決勝はコロナ危機の以前は「2年に1回ペース」で生観戦していました。
 いまは「野球」「バスケットボール」「陸上」の3つがメインですけど、あらゆるスポーツが「共存共栄」できることが、一人の人間としての「叶えたい景色」ですし、自分のメインフィールドではないスポーツからも、学び感じることはいろいろとあります。

 例えば、この2022年でいえば、卓球の早田ひなの活躍は、とても心に響く感じでした。豪快なプレースタイルもですけど、それでいて「感謝の姿勢を絶やさない」のがとても魅力的で。



 自分の中では、「2022年を代表する10人を挙げよ」という設問があれば、早田ひなはこの10人の中に入れます、それほどに今年の活躍・成長は印象的です。先日の大会では平野美宇に敗れて(テレビで観てました)悔しかったと想像ですけど、早田に惹かれる理由の一つとして、「悔しさを成長の原動力にできていること」と感じていて。

 話を脱線させてしまいましたけど、自分にとっては「スポーツを観ること」は、いわば「呼吸のような感じ」なんですよね。
 で、バスケットボールは、自分としては日本スポーツ界の中でも「重要な存在意義を示せる感じ、イメージ的にはサッカーと同等以上の存在感」の感じでいて欲しいと、正直願う感じなのです。


 なぜ、「野球」「相撲」はいまもずっと話題であり続けているのか。


 「日本は、本質的には『野球の社会』である。」
 「日本は、相撲を『国技』とみなしている。」


 結論から述べれば、これは自分自身、実感として抱いています。
 かくいう自分自身、「野球」「相撲」、共に「特に好きなスポーツの一つ」です。で、自分自身が好きですし、我が家でも「野球」は勿論、「相撲」も場所開催中はほぼ連日のように話題になってます。
 いま、自分は仕事場を兼ねてカフェで過ごすことが多くなっているので、物理的に相撲を観られないときが出ていますけど、それでも帰宅したらとか、朝食のときとか、相撲の話が結構出ますから。

 では、「野球」「相撲」は、なぜこの日本社会では「話題のスポーツ」であり続けられるのか。自分はこの理由は、「とてもシンプル」と思ってます。


 「『野球』は、『高校野球の全国大会』(春の選抜大会、夏の選手権大会)が、『NHK地上波で完全生中継』だから。
 『相撲』は、『幕内の取組』が『
NHK地上波で完全生中継』だから。」
 (これに加えて「相撲」は、昭和天皇・平成天皇・現在の天皇と3代続けて天皇自身が「相撲好き」であることも大きい。つまり皇室という「後ろ盾」の存在も大きいのではと。)


 そう、「高校野球の全国大会」「相撲の幕内の取組」は、「NHK地上波で完全生中継」であるのです。この「NHK地上波」というのが大きなポイントで、つまりこれは「どの地域に住んでいようとも、ひとしく観戦機会がある」、つまり「都市と地方の格差」の影響が全くないのです。
 ここ数年、「テレビの影響力は低下傾向にある」といわれています。これについては、確かに少なからずそうではあるのかなとは感じます。ですけど自分は、正直下記のことを強く感じています。


 「いまでも、そしてこれからもずっと、テレビは『一定以上の存在意義・影響力を持ち続ける』だろう。何故ならば『興味を抱くきっかけ』「たまたま観て、それが心に響く』存在としては機能し続けられるから。」


 ジャンルが異なりますけど、自分自身の実体験を話します。

 2014年11月。NHKBSプレミアムでの、「Animelo Summer Live」。
 (通称「アニサマ」。アニメソング最大級の音楽フェスにして、「フジロック」「サマーソニック」「ロッキン」と並び称される「夏の大型音楽フェス」の一つとして君臨し続けている。いまでもずっと、日本のアニメソング歌手はこの「アニサマ」の舞台が目標であり続けている。
 開催は例年「8月末」だが、NHKBSプレミアムでの放送が11月~12月頃に流れることが多い[年によっては流れないときもあるが]。会場は「さいたまスーパーアリーナ」[通称「SSA」]で原則固定である。)

 ちょうど当時の自分は、既存のJ-POPへの「漠然とした違和感」の増大傾向を隠せなくなってきていました。聴いていて「わくわくしない」感じが拭えなくなっていたと。
 で、番組表を見ると、この「アニサマ」の放送があると。へえ、異なる世界で「怖いもの見たさ」の感覚になるけど、試しに聴いてみようと。



 「sister's noise」(fripSide)。いまの自分を形成している、いわば「価値観・世界観を大きく変えた1曲」です。
 かなりざっくりと述べれば、「あらゆる楽曲の中で、ぶっちぎりのダントツで『頭おかしい、狂っている1曲』」です(「誉め言葉」と解釈頂ければです、と強く申し添えておきます)。

 どういうことかというと、このときの「アニサマ2014」は、3日間開催の回を「6回分に分けて」放送(1日分につき、前後編の2回分割のイメージです)でしたけど、下記のことを基礎情報として示しておきます。


 南條愛乃(fripSideのボーカル。2022年4月をもってソロ活動に専念。当時は「ソロ」「fripSide」「μ's」の「3足のわらじ」であった。「放送1週目」はこの「ソロ」での登場時で、このときは「伸びやかで透明感ある歌唱」が印象的であった、聴く人間もこのときは「ペンライトを振りながら、ほぼ静かに聴く」スタイル。ちなみに自分と同学年相当。)

 fripSide(「放送2週目」で登場。「超電磁砲シリーズ」で特に知られており、今回の「sister's noise」もこの楽曲の一つ。楽曲テイストは「南條愛乃ソロ時」とはいわば「ほぼ真逆」で、「『ぶち上がる』に全振り」。
 音楽性は、小室哲哉さんの影響を強く受けている[楽曲の中には小室さんと共同制作の楽曲があるほど]、いわゆる「電子音楽」「ユーロビート」がベースになっている。)

 μ's(「放送6週目」で登場。「ラブライブ!」の作品発グループであり、本質的には「キャラソン」である。当時は「テレビアニメ2期」放送直後であり、このときで既に「単体でSSAを埋める」存在になっていた。尤もこのときの自分は「アニメ未視聴、6週目の放送は聴いてたけど、うとうと状態だったのかあまり強い印象はなかった」。
 翌年である2015年に映画が公開されて「社会現象」になり、紅白歌合戦出場、その翌年の東京ドームでの「ファイナルライブ」は「伝説のライブ」として語り継がれているけど、社会現象の前年の時点で「既にかなりの人気ではあった」ことが伺える。)


 「sister's noise」。この1曲を「放送2週目」で聴いたとき、自分はもう、「とても強い衝撃」でした。「カルチャーショック」という表現が、より「すとんと落ちる」感じかなです。
 かなりかみ砕けば「狂っている」「頭おかしい」。観客、いや会場全体の雰囲気が「完全に一変する」感じなのです、でもそれでいて演者(fripSide)も観客も「全力で楽しんでいる」ことが伝わる。

 少なくともそこに「やらされている」感覚は全くない、「能動的な感じ」が画面越しに伝わる。「なにこれ、こんな素敵な世界がこの社会にはあるのか!?」と。
 それから少しして、「放送6週目」で「μ's」が登場。このとき自分は、「うとうと状態」で聴いていたようで、正直あまり強い記憶はありません。ですけど、会場が「fripSide」と同等以上に盛り上がっていることだけは強く印象にあって。

 このときは実は、「南條愛乃=fripSide」までは線で繋がったけど、「南條愛乃=fripSide=μ's」とまでは線で繋がっていなかったのです。ましてや、自分が「ラブライブ」「アニメソング」に夢中になることなど、とても想像できなかった。ですけどこのときの衝撃は、「いまの自分への伏線」になっていくのです。



 で、「2015年6月13日」。『ラブライブ!The School Idol Movie』(いわゆる「μ'sの劇場版」)が公開。「28.6億円」という、当時のアニメ映画ではすさまじい興行収入を叩き出し、半年以上のロングランになるなど「社会現象」になりました。
 いままでの自分は、「社会現象だろうが、『自分は自分』だから」と、ほとんど見向きもしない感じでした。しかし、この年の7月、NHKEテレ「Rの法則」の再放送回(実は本放送回が2015年2月にあったが、このときは自分が予定があって視聴できなかった。しかしツイッター上でこの本放送回がすさまじい話題になっていたことは把握していたし、あるリア友が「話題になっているらしいよ」と話していたので、それもこの再放送回を観たいことの理由であった)、これが大きな転機になります。

 再放送回の30分間。このときの「μ's」は、自分の中である種不思議な「わくわく感」の感じでした。そう、いままでには経験できなかった独特の感覚が、正直あった。
 当時、映画が話題になっていたことは、存じていました。しかも、この映画と公開日が同じであった『海街diary』(監督は是枝裕和さん。出演者も実に豪華メンバーで、公開前はとにかくすさまじい宣伝量であった記憶が)を、興行収入で圧倒していると(前評判は真逆だった)。
 で、「Rの法則」での、人生で初めての感覚だった、独特の「わくわく感」。よし、映画を鑑賞してみようと。再放送回の数日後に、「μ'sの劇場版」の鑑賞に踏み切りました。



 人生を変えた「ラスト30分」。そう断言できる。
 あの「画面オレンジ」(穂乃果ちゃんの大ジャンプ)から、ラストの楽曲『僕たちはひとつの光』。「人生で最高の感動」が、そこにはあった。

 気が付けば、感動で涙が溢れ出てきて、座席から全く動けてない自分がいました。そして、人生で初めて、同じ作品を3回以上鑑賞、というか実際は「本上映だけで15回(後の再上映も含めるとそれ以上です)」鑑賞しました。

 特に大きかったのが、いわゆる「応援上映」の存在(公式では「スペシャルステージ」、ファンの間では「絶叫上映」とそれぞれ表現していました)。これが自分の性(しょう)にとても合って、もう「最高に楽しい」感じで。後の「ありがとうproject」をも含めて、川崎、新宿、名古屋に遠征したり、いわゆる「ファイナルライブ」のLVも最高に楽しんだ感じで、2018年11月、後継であるAqoursの4thライブ(東京ドーム)で「人生初めてのコンサート生鑑賞」を叶えるなど、自分にとって「ラブライブ」「アニメソング」は、いわば「スポーツ観戦」と同じくらい、「自分自身の心の支え」になっている感じです。


 ですけど、「Animelo Summer Live」にせよ、「Rの法則」にせよ、いわば「テレビ」というか、「NHKでの地上波・BSでの放送」という「きっかけ」があったから、「好きなこと」に出会えた、そう強く実感するのです。
 というか、「きっかけ」がなければ、「物事に出会う」こと自体が物理的にできないと思うんですよね。その意味で、いまでも「テレビの影響力」は大きいというか、特に「きっかけ」の舞台装置という意味での「NHKの影響力」って、いまでもとても大きいと思うのです。


 確かに、「テレビの影響力」は、「必ずしも全てではない」とは思います。いわゆる「口コミの力」は、いまの日本社会では「無視できない大きな要素の一つ」といえるでしょう。
 いま述べた『ラブライブ!』然り、2016年の『君の名は。』然り。あるいは、2016年の10月クールのテレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(通称「逃げ恥」。尤もこれは原作である漫画本がある)、今年(2022年)の7月クール放送のテレビアニメ『リコリス・リコイル』(通称「リコリコ」。完全なる「オリジナル作品」)は、まさしく「面白いよ、面白いよ」という「口コミの力」の最たる感じといえるでしょう。


 ですけど、スポーツのことに話を戻すと、いまでもこの日本社会では、「野球」「相撲」が大きな影響力を示し続けている。これはシンプルに、先程に述べたように、
 「高校野球・幕内の取組の『NHK地上波での完全生中継』の存在。」
 これがとても大きいと、自分は考えています。

 そう、NHKって、民放と異なるのは、
 「たとえ住んでいるのがどの地域であろうとも、ひとしく視聴の機会がある。」
 これって、想像以上にとても大きいんですよ。

 だから、高校野球・相撲で何か一つの共通の話題が生じたときに、「話の流れにそもそもついていけない」というリスクが小さい。生で観られなかった場合でも、夜のNHKのスポーツコーナーで取り上げられる可能性が高いですし。


 「日本における『高校野球』」(いわゆる「高野連」)
 「米国における『大学バスケ』」(いわゆる「NCAA」)


 で、世界広しといえども、いわゆる「学生スポーツ」の枠を超えて「社会全体で」愛される存在、日本での「高校野球」、米国での「大学バスケ」、(ほぼ)この2つだけといわれています。
 裏を返せば、それほどに「高校野球」というのは、いわばもはや「『文化』の域に到達」している感じがある。これは米国での「大学バスケ」も然りです。

 そう、米国では、MLB(野球)では「テレビでは一定の話題だけど、球場内は空席が目立つ」一方で、NBA(バスケ)では「アリーナ内に空席が目立つというのが、それほど多くはない」(球団の敗戦数がかさむと、空席が目立つ感じとは伺うけど)、と伺います。
 それは、恐らくですけど、「大学バスケで活躍した選手」がNBAで活躍するととても素敵だよねという、ある種の「感情移入」「脳内でのストーリー生成」がよりしやすいからでは?と。
 これは、日本の野球にもいえることで、「高校野球で活躍した選手」がNPBで活躍すると、やはり特に嬉しくなるのです、これは所属球団の枠を超えて。これこそいま述べたように、ある種の「感情移入」「脳内でのストーリー生成」に尽きるのです。そう、いわば「『物語』を描ける」んですよね。


 あるいは、「相撲」も然り。不祥事が起きたり、力士の全体レベルが下落傾向になったりであっても、会場の動員数や熱量は、高いレベルで堅持できている感がある。これも「NHK地上波での生中継」(十両・幕下でもBSで基本的に生中継されている)がとても大きいと思うのです。
 それに、生中継があることで、「他に見たいものがない」ことへの受け皿の役割としても機能できる。これってとても大きなことでは?と正直感じます。


 それと、「野球」「相撲」は、「たとえ住んでいるのがどの地域であろうとも、ひとしく視聴の機会がある」、これって想像以上にとても大きい、と述べました。言い換えれば、「話題についていける」ともいえる。
 これ、芸能界におけるジャニーズ、坂道(乃木坂、日向坂)にもいえると思うのです。なぜジャニーズを応援する人間がいまでも一定数存在するのか、確かに「かっこいいから」というのは一つの理由かなとは想像しますけど(「共感はできないけど、理解はできる」感じです)、
 「だって、テレビで最も取り上げられるのがジャニーズだから。」
 これがとても大きいように、自分は思うのです。


 私事ですけど、自分は1回目の大学時代、教員(中学校社会科教員)を志していました。
 理由はいくつかありますけど、自分としては「子どもの心に親身に寄り添える教員」になりたかった。特に、シンプルに「子どもが大好き」、これが正直とても大きかったのです。
 でも、大学であるとき、教職課程の指導教員に、こういわれたことがあります。

 「お前が子どもが大好き、いじめ・不登校・学級崩壊のことに強い問題関心や情熱を持っていることは、よくわかっているつもりだ。でもその一方で、『なれる方法がわかるのが教員しかない』という感じでもあるのでは?

 趣旨としては、このような感じです。で、このことはいまでも強烈に記憶にこびりついています。
 当時の自分は、「違う、ただ純粋に子どもの心に親身に寄り添いたい、それの方法が教員ということなんだ!」と真顔で思っていました。でも、いま思えば、確かにある程度は当たっているのです、いわば「図星」だと。
 このことについては、話すととても長くなりますので、いつか別途機会があるときにの感じですけど、「野球・相撲が根強い人気」「ジャニーズ・坂道が根強い人気」の構造に相通ずるよなあと感じるので、言及させて頂きました。


 そう、「話題についていきたい」という心理。
 「なぜ、『野球』『相撲』はいまもずっと話題であり続けているのか」の問いの正体は、「話題についていければ、心の居場所をどうにか保持できるという心理」、これが全てとは思いませんけど、ある程度はこれは理由としてあるのでは?と正直感じるのです。




 で、我が家では、特に野球のオフシーズンを中心に、
 『報道1930』『プライムニュース』
 が、とても重宝しています。この2番組は、「社会・政治でいま起きていることを知る『教養ツール』」の意味をも含めて、「とても大きな役割・存在意義を果たしている」と自分は思っているんですよね。

 で、そう考えると、日本におけるバスケットボールが、今後より存在意義を高めていけるためには、自分はこの
 「ああ、この時間にバスケの生中継があるじゃん、試しに観てみようかな。」
 と、これをより活用できる感じにできれば、より望ましいのでは?と正直感じているのです。


 ここまでで、既に想像以上に長くなっていますけど、特に野球が、「高校野球の『NHK地上波による完全生中継』が、「日本社会において『野球が文化になっている』大きな一助になっている」ことに照らせば、これは大きなヒントであると自分は感じているのです。

 そう、「ウインターカップ」。いま、日本バスケ界にとっては、この「ウインターカップ」は大きな「希望の光」であると思っているのです。でも、いまの放送事情では、「素材はいいのに、それを活かすレシピが…」という感じに、自分には正直映ってます。
 「ウインターカップ」の放送事情を改善できれば、これだけでも日本におけるバスケの存在意義(プレゼンス)の改善において、少なからず異なってくる(上向いていく)一助になり得るのでは?と、自分は正直強く感じています。


 では、それがどういうことかということをも含めて、続きを(その2)で綴らせて頂きます。


 【バスケットボール#17A】【エッセイ#7A】

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