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武術家が想像する清少納言と紫式部

 私のような武術家は、文系や理系とは異なる体育系の『肉体言語派』に属しています。肉体言語派の特徴は、言葉や文章で物事を考えるのではなく、殴る、蹴る、投げる、倒す、叩きつける、関節を極める、斬る、突く、締める、躱す、逃げるなどの動作を常に『意識』している点にあります。実際には、『意識』よりは『無意識』に近い状態で周囲の環境や間合いを把握し、混雑した道で擦れ違う人や動物でも、いかに速やかに戦闘不能にできるかを『模擬演習』しています。この状態はシャドーボクシングに似ていますが、シャドーボクシングでは対戦相手を意識的に想定するのに対し、武術家は無意識のうちに24時間365日この状態が続きます。今年は閏年なので、四年に一度の休日が入ります。

 多くの人が睡眠中は脳が休息していると考えがちですが、実際には脳は睡眠中も異なる活動形態で機能し続けています。この活動は体の修復や記憶の整理など、休息と回復に重要な役割を果たしています。脳以外の臓器も同様に、24時間体の要求に応じて活動を調節しています。例えば、心臓や肺は生命を維持するために絶えず機能しますが、その活動度は身体の状態や時間帯によって変化します。心臓や肺がわずか10分でも機能を停止すれば、人は生命を維持できませんが、これは体が常に適切に調節されていることを示しています。

 半ば無意識で『模擬演習』しながら街を歩いていると、時々同じような武術家に出会うことがあります。例えば、相手が擦れ違いざまに足を払い、頭を壁に叩きつける動作を想定していることが分かると、自然とそれに対する返し技を思念で返します。そうすると、相手は返し技に対する返し技を思念していることが瞬時に理解できます。この概念の呼び方は、武術家や所属する武道、武術、武芸によっては『気』と呼ばれることがありますが、『気』が読まれることは未熟者の証とされることもあり、次の段階ではいかに『気』や『闘気』を表に出さないかに重点が移ります。

#カンフー映画 #アニメ などでは、『そんなに殺気立っていては勝ち目がない』といった陳腐な台詞が使われることがありますが、実際の武術でも同様です。武術家が恐れるのは、『気』を消している武術家です。分かり易くアニメで説明すると、 #ドラゴンボール超 に登場する #破壊神ビルス の『神の気』は人間には読めないという設定や、 #刃牙 シリーズに登場する146歳の #郭海皇 の『消力(シャオリー)』の世界です。

 十年以上前に擦れ違った武術家らしき方から突然『これから食事に行きませんか?』と誘われたことがあります。初めて会った人でしたが、食堂の席に着いた彼の最初の言葉は『初めて見た動きですが、何をされている方ですか?』でした。その後の会話は、武術家同士にしか理解できないものですが、食事後に相手の名刺をもらって、彼の職業が新聞記者であり、著名な空手家であることが分かりました。彼とは、その日から今でも懇意にしていますが、私の友人には同様の人が多いです。

 このような話をすると変わり者と思われるかもしれませんが、武術に興味がない方々や動物も、意識せずに本能的に同じことをしています。例えば、道を歩いている時や、わき見運転をしている自転車と衝突しそうになった時、自然と身を躱したり、交差点で衝突しそうになった時は衝撃に備えて身構えるのは、防衛本能によるものです。このような緊急時に『自転車が来る。接触まで2メートル。0.5秒後に衝突する。右に避けると壁にぶつかる。左に避けると自動車に撥ねられる』といった具体的な考えを言語化しているわけではありません。

 緊急時の反応は次の順番で僅かな時間差を置いて発生します。第一段階は言葉にならない無意識の防御反応。第二段階では、危害を加える可能性があった相手に対する恐怖感や、怒りなどの感情が発現します。第三段階で『怖かった』と恐怖心を表現する言葉や、『気をつけて運転しろ!』といった怒りの感情を表現する言葉になるのが一般的です。

 要するに、皆さんが何も考えずに歩いているようでも、実際には、人や自転車がぶつかってきたらどう反応すべきかや、人相が悪い人が近づいてきたら関わり合いにならないように距離を取るといった動作は、無意識下で自然に処理されている行動です。

 飼いならされた犬や猫でも、散歩中には嗅覚などを使って勝てる相手かどうかを判断し、相手によっては威嚇したり、吠えたり、逃げたりします。サバンナの野生動物にとっては、水を飲むことさえ命がけであることが、水飲み場を観察することで明らかになります。

 私のような肉体言語派は文学に疎いので『 #清少納言 』と聞くと、『どこかで聞いたことがある武術家のような気がするけど誰だっけ?』という反応になります。このように文学に疎い人は結構いるはずなので、『カンナ|をかし探究隊隊長』が探求している『 #をかし 』とは何かについて解説しようと思います。解らなくてもとりあえず解説してみるのが #無師直感流哲学 の特徴です。

『をかし』と聞くと多くの肉体言語派は、『プロテインバーのお菓子?』や、『何が可笑しいの?』と誤解するかも知れません。しかし、『をかし』とは、清少納言が『 #枕草子 』で表現した日常生活の中で見つけた魅力的で趣があるものや、心を惹かれるものを指します。これらは平安時代の貴族社会の繊細な感性や『動的』な #美的感覚 を反映しており、美しいものや趣深いものを見つけることの楽しみを伝えています。

『サウイフモノニ・ワタシハナリタイ』は、ウルトラマンに登場する片言の宇宙人の台詞か、何かの暗号のようですが、これは #宮沢賢治 の『雨ニモマケズ』の一節です。心理学者で『夢』『精神分析入門』『超能力の世界』『神秘の世界 超心理学入門』『天才』などの著者として知られる #宮城音弥 の天才の定義では、宮沢賢治が天才の最たるもので、天才論の文脈では、心理学的にも文学的にも、宮沢賢治が引き合いに出されることが多いです。『天才にしか天才は理解できない』の原則に基づくと、パステルカンナさんには、天才の資質があるかも知れません。

 肉体言語派は『動的』といえば、『静的』が対の概念として浮かびます。他にも『陰と陽』や『剛と柔』なども『武』における対の概念です。日本文学の世界で『静的』な #美意識 と言えば、 #紫式部 の『 #源氏物語 』に見られる『 #もののあわれ 』です。『もののあわれ』は、この世のあらゆるものに対する一種の哀愁や、物事のはかなさ、美しさに対する感動や共感を意味し、源氏物語の登場人物たちが四季の移ろい、人間関係の複雑さ、人生の無常などに対して深い感慨を抱く場面で表現されています。この感覚は、日本特有の美学や文化、哲学に深く根ざしており、日本文学における深遠なテーマの一つとされています。私が愛読しているnoteで『もののあわれ』感が伝わってくるのは、紗綾さんの記事です。残念ながら私は『源氏物語』を読んだことはありませんが、紗綾さんの記事はどれも秀逸です。

#アルジャーノン 』の一言だけで惹きつけるこの引力が凄いです。

 私が書くと『ゲイツに花束を』でアルジャーノン感台無しです。

 以下の記事を読んで思わず、Alien、Aliens、Alien³、Alien Resurrection、Prometheus、Alien: Covenantを全部観てしまいました。

#武智倫太郎

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