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第51回 人斬り (1969 大映)

 さて、11月25日は三島由紀夫の命日、すなわち50回目の憂国忌でした。日本一の文豪であり、間違いなくゲイの日本チャンピオンであった三島先生でありますが、当時の活躍ぶりは文学の世界を飛び越えていたのです。飛び越えすぎて切腹したとさえ言えます。

 映画にも当然先生の足跡は残っており、これをレビューしようと思い立ったわけですが、問題は全然先生の映画は配信されていない事です。

 若い頃に偽名で書いた同名のガチホモ小説を勝手に映画化した『愛の処刑』が一番やりたかったのですがこれは入手困難で私もまだ未見。趣味丸出しで撮ってる『憂国』は入手可能ですが短いうえに面白くなく、『黒蜥蜴』はちょい役で供養に不十分。

 何故か唯一の主演作品である『からっ風野郎』だけは配信していましたが、これは正直言ってあまり良い出来とは言えません。

 そこで、DVDさえ入手困難なのは承知ですが、断トツで面白く、先生の演技力が劇的に進歩していて、しかも筋肉を披露して切腹までしちゃううえ、遺作でもある『人斬り』でいこうという結論に至りました

 いや、この度ソフト化と配信が実現しました。これは歴史的な出来事です!

 テレビ業界から初めて映画に進出した五社英雄の監督第2作であり、原作は司馬遼太郎の『人斬り以蔵』ということになっています。

 勝新演じる岡田以蔵仲代達也演じる武市半平太に冷淡に扱われつつ、裕ちゃん演じる坂本龍馬や薩摩の人斬り仲間である三島先生の田中新兵衛といちゃついて幕末の京都を騒がすという王道なストーリーです。

 鬼才五社英雄のえげつない殺陣と映像美。こいつは凄いと見た人は皆驚くはずです。

 そして、幕末の志士たちにとって衆道は必修科目であり、メインの4人は全員ゲイ疑惑があるのです。三島先生が大喜びでオファーを受けたのは当然であり、またそういう仕上がりになてっいます。


人斬りを観よう!

 長らく視聴困難でしたが、U-NEXTが配信を始めました。これ観なきゃ損です。

真面目に解説

五社英雄という傑物

 今では形骸化していますが、当時は映画とテレビはそれぞれ別の世界でした。映画の方が一段格上とされていたのです。

 映画スターはテレビに出るのを嫌がり、テレビから映画へのステップアップも現実的ではなく、それを果たしたとしてもテレビ出身であるという過去はどこか後ろ暗い負い目でさえありました。

 海外にはこの文化がまだ残っています。海外ドラマでお馴染みの人達をハリウッド映画で見かける事は滅多にありませんん。演劇人が別格の存在として一目置かれているのも同じです。

 特にテレビドラマの監督が映画監督にステップアップするのは本作で五社英雄が初めて成し遂げた快挙でした。

 五社英雄は映画監督を志し、大映の永田雅一社長の家に日参してしつこく頼み込んでも断られ、テレビの世界に身を投じて地道に実績を作ってこのチャンスをつかんだ経緯がありました。

 成り上がり物に映画人は冷たく、五社が撮影所で先輩監督に挨拶回りをしても、ちゃんと返してくれたのは田中徳三三隈研次だけだったそうです。この二人なら返してくれそうだと思わせるところに嫌なリアリティがあります。そして、

 五社英雄はテレビ出身故に一般的な映画監督と画の作り方が違います。その第一が本作の最大の売り物である殺陣です。

 一般に使われる竹光ではなく金属製の模造刀を使うのが最大の特徴です。危険ですが迫力が段違いなのです。

 そして、チャンバラ映画の時代から培われてきた映画式ではなく、リアリティを追求したえげつない殺陣が何と言っても五社英雄の魅力です。

 本当の殺し合いはチャンバラのようにはいかず、不格好でごつごつとしたものになるのです。ヤクザの叔父に育てられ、ほぼヤクザなライフスタイルを貫いてきたバックボーンが生きています。

 そんなアウトロー五社英雄の下に勝新太郎を筆頭に骨太に過ぎる面々が集って岡田以蔵です。これでダメな映画になるなら嘘です。

岡田以蔵という男

 私は幕末の人物で誰が好きかと聞かれれば岡田以蔵と即答します。高知県人だからというのもありますが、やはり以蔵の生き方には共感するところが多いのです。

 岡田以蔵は土佐藩の足軽の倅。武市半平太の門人として剣を修行し、やがて武市に付き従って土佐勤王党の活動に身を投じ、暗殺に次ぐ暗殺を繰り返して「人斬り以蔵」と恐れられるようになります。

 しかし、足軽身分の上に無学なので仲間に軽んじられて段々とひねくれていき、最後は武市に使い捨てられたのに怒って仲間を売った挙句処刑されるという哀れな人物です。

 本作の主役であるわけです。演じるのは勝新太郎。土佐藩家老吉田東洋の暗殺を見て殺しに目覚め、京都の町で何人も殺して回って段々と壊れていく様は勝新以外に出来そうな役者が思い当たりません。

 そして『座頭市』ですから殺陣はそりゃあもう凄いわけです。京都から近江の石辺宿まで突っ走ってそのまま何人もぶった切っていくシーンなど圧巻です。

 座頭市の強さと大宮の純情さを兼ね備えながら、時代が以蔵を狂わせていき、最後は惨めに処刑されてしまう。完全に鉄砲玉ですが、そんな悲劇性が岡田以蔵の人気の源なのです。

武市半平太という男

 以蔵をはした金で散々こき使った挙句、用済みになったら見捨ててしまうのが師匠の武市半平太です。

 仲代達也に頼んだのは正解でしょう。こういう外道が実に得意なのが仲代達也です。

 土佐勤皇党のリーダーとしての大義が何もかも正当化すると信じている節があります。革命家気質です。そういう革命家の末路はろくなものではないのは歴史が証明してますし、半平太もまた捨てた以蔵に売られて切腹を余儀なくされるのです。

 幕末というのは期間は短いですがその情勢は非常に複雑怪奇です。歴史好きを自任する人でも質問されてぱっと答える事の出来ないテーマが一杯あり、そもそも定説が定まっていない事件が腐るほどあるのです。

 そこが幕末を舞台にした作品で作家性が発揮されるポイントになります。なので本作は以蔵が人を斬ることに主眼を置いたわけです。それはつまり半平太がどんな理屈をこねて斬らせるかという事です。

 「あいつは生きていては世の為にならん」とかそんな事を言うと以蔵が始末してくれるという仕組みです。勤皇の志士と言いつつもやっていることはヤクザその物です。金子信雄よりヤバい奴です。

 学生運動の盛り上がっていた時期なのも、この綺麗事抜きというよりも汚すぎる革命劇という側面がある本作のヒットの要因でしょう。京大の寮には今でもこういう思想に生きてる人が居ます。出自が怪しいのも志士と一緒です。

坂本龍馬という男

 龍馬というと常に主役という事になりがちですが、本作では敵か味方かという実に日活的な役回りでストーリーを締めます。そして、意外に知られていないですが半平太とは親戚です。

 演じるのは石原裕次郎。裕ちゃんに殺陣はできないのでチャンバラはなしです。龍馬は剣豪という事になっていますが一人も斬った事がないと言われているのである意味リアルです。しかし、お馴染みの拳銃ぶっ放すシーンくらいは欲しかったと私は思うのです。

 実態はどうあれ龍馬は並外れた大物という事になっているので、半平太の過激思想を危険視しつつ、そんな半平太に体よく利用される以蔵の行く末を案じて以蔵を救おうとします。

 しかし、結局メインの4人は全員歴史の闇に葬られてしまうのです。とりわけ土佐藩は死亡率が高く、維新後に人材が枯渇して薩長に後れを取ったほどです。土佐人は無鉄砲で好戦的に過ぎるのです。

田中新兵衛という男

 田中新兵衛は先の三人と比べると知名度はぐっと落ちますが、以蔵と並び称される薩摩の殺し担当です。更に河上彦斎、中村半次郎を加えて幕末の四大人斬りと称されますが、作中には河上が殺した人数が二人より一枚落ちると言及されるだけです。

 五社英雄は素人を使うのが上手いという定評があり、『からっ風野郎』でどうしようもない大根ぶりを見せてしまった三島先生も本作ではちゃんと見られる仕上がりになっています。それも新兵衛はかなり難しい役です。

 そして三島先生は剣道五段で、撮影に際して示現流の先生に個人レッスンまで受けた甲斐あり、尺は短いですが殺陣が実に決まっています。無茶苦茶やるので殺陣師が怪我したそうですが。

 以蔵は新兵衛をライバル視しつつもどこか共感を持ち、新兵衛もまた半平太に利用される以蔵を哀れに思って何かに庇ってくれるのですが、最後は半平太にはめられて切腹を余儀なくされます。

 片肌脱いで自慢の筋肉を披露しつつ切腹するシーンは見事です。素人とは思えません。まあ、間もなく本当に切腹してしまったのですから迫真の演技も当然と言えば当然でしょう。

 ただし、本番では上手く行かずに散々苦しんだのは内緒です。

幕末はやべー奴揃い

 脇を固める殺される役の人達も忘れてはいけません。殺される側こそ実は大事なのです。

 のっけに無茶苦茶気合を入れて殺されたのが土佐藩家老吉田東洋です。と言っても、この暗殺は以蔵はまだ人を殺したことがなかったので先輩三人が殺すのを見学です。

 演じるのはなんと辰巳柳太郎。雨の降る中の襲撃に新国劇仕込みの剣で抵抗し、散々手こずらせた挙句つばぜり合いの末に首を斬り付けられて倒されるという壮絶な死にざまです。

 この荒っぽい暗殺現場を目の当たりにした以蔵じゃ自分ならもっとうまくやれると腹を決めて暗殺者に変身するのです。

 この映画のセオリーを完全無視したロケットスタートで観客はぎょっとするというわけですが、これは並の役者には手に負えません。名門新国劇は殺されるのも上手いのです。

 その後は時代劇に強い大映の中堅俳優がしっかりと殺されていきます。朝廷と志士のパイプ役の武闘派公家の姉小路公知はマジカル頭脳パワーでお馴染みの仲谷昇。成程お公家様向きのキャスティングです。

 以蔵が最初に殺しの腕を見せるのが越後の志士本間誠一郎(伊吹聰太朗)です。刀を思う様に振り回せない狭い路地で以蔵とやり合い、存分に見せ場を作って倒されます。

 伊吹聰太朗と言えば時代劇の用心棒の先生とかでお馴染みですので抵抗の仕方も殺され方も実に決まっています。かように殺される役にも地味ながら精鋭が揃えられているのです。

 また、以蔵が立場上的である幕臣の勝海舟を龍馬に頼まれて護衛した有名なエピソードも挿入されます。勝海舟役は山内明。古い人なので知名度がいまいちですが、この人は凄くBL力の高い俳優なので要チェックです。

 そうこうするうち以蔵は土佐藩に捨てられて牢屋にぶち込まれてしまうのですが、この牢屋でシリアスなムードのこの映画が一気にコミカルな空気になってしまいます。

 牢名主とその子分にコント55号の欽ちゃんと坂上二郎が笑いを添え、牢役人は田中邦衛です。なんとも愉快な牢屋があったものですが、以蔵の運命はこの牢屋で完全に暗転してしまうのです。

 そして武市にはめられた新兵衛を取り調べるのは中谷一郎です。殺され役には腕利きを、ちょい役にもビッグネームをといかにこの映画が気合を入れて作られたか物語っています。

 私が好きなのが以蔵に振り回される役の世話係の皆川一郎。演じるのは山本圭。叔父が日本の左翼映画監督の最高峰の山本薩男なので、革命劇である本作にぴったりと言えばその通りです。

 むさ苦しい野郎どもが集められたこの映画には貴重な二枚目で、以蔵を尊敬しつつも恐れ、最後はやっぱり武市に使い捨てられてしまいます。しかし、命の安い映画があったものです。

アントンもびっくり

 五社英雄作品はホモソーシャルそのものですが、その一方で宮尾登美子作品や『極道の妻たち』といった女の映画を撮れる稀有な監督でもあります。女を完全にコンドーム扱いする深作欣二あたりとはまた別種の手腕の持ち主なのです。

 以蔵は殺し屋という過酷な仕事を担っているので貰った金は全部女郎屋につぎこんで癒しを求めます。入れ込んでいるのが倍賞美津子演じるおみのです。

 倍賞美津子は当時はまだ松竹歌劇団から映画に転向して日が浅く、本作が出世作となりました。何しろアントニオ猪木と結婚するような女傑ですので、豪胆な割に情の深いおみのは当たり役だったのです。

 ガチホモ軍団である土佐藩士が女郎屋など行くのかという疑問は残りますが、以蔵は身分が低いうえに同志に軽んじられ、いい男とは絶対に言えない容貌だったそうなので、衆道の世界からも仲間外れにされていたのかもしれません。

 とにかく以蔵はおみのと時に衝突しつつもだんだんと深みにはまり、最後は半分おみのの為に死んでいくのです。

 こんなホモ映画になるしかないような話でもちゃんとこういう男女の機微を書けるバランス感覚が五社英雄の凄さでもあります。

 そして五社英雄作品の名物と言えばキャットファイトなのですが、後に倍賞美津子は『陽暉楼』で見事にやってのけて恩返しをしました。あの映画もそのうちレビューしたいものです。

BL的に解説(バックボーン)

幕末は大ホモ時代

 腐女子の方には『銀魂』あたりでしか幕末を知らないという人が多いですが、それは大損としか言いようがありません。幕末とはすなわち「ガチホモバーサーカーの痴情の縺れの末の喧嘩」なのです。

 幕末は薩長土肥の志士たちが時代を変えようとし、それを幕府が会津が雇ったイキり百姓(新選組)を使って阻止しようとして京都に血の雨が降るという時代でした。

 ここで注目すべきは、当時の日本において男色は特に珍しいものではなく、特に幕末の主役になるような田舎の藩では衆道が尊ばれる傾向が顕著であったことです。

 志士は基本的に衆道を嗜んでおり、ノンケは変態という価値観で動いていたと考えて間違いありません。幕末生まれ、武家育ち、関係ある奴は大体ホモ達というわけです。

 そのうえで時代小説を読めば、これはもう議論の余地なきBLであります。BLに寄せていく作家からあえて避ける作家まで色々なので、そこは好みでお選びください。

薩摩と衆道

 薩摩においては「稚児」と呼ばれる武士の少年が「二才(にせ)」と言われる青年武士に教育を受ける「郷中」と呼ばれる制度がありました。

 郷中は女人禁制の男の世界であり、女と目を合わせただけで切腹を命じられる程のホモソーシャルな世界であり、また稚児は二才の衆道の相手を務める事が当然とされていました。

 稚児は成長して二才になり、妻帯することで郷中を抜けるわけですが、当時の薩摩の女性の地位は馬よりも低く、子供を産むための装置でしかなかったのです。

 とはいえお家繁栄も武士の務めなので嫌々子供は作るわけですが、やっぱり本命は死ぬまで男なのです。

 BL大河ドラマなどと大きなことを抜かして『西郷どん』をやっていましたが、あんなノンケ臭い西郷どんは当時の薩摩の人に見せれば女々しか変態以外の何物でもないのです。

 西郷どんとホモ心中を図った事で歴史に名を残した月照に「本物」であることが歌舞伎座では公然の秘密になっている尾上菊之助を使いながら、あまりに女々しか内容に私は失望を禁じえませんでした。だから皆受信料を払い渋るんです。

土佐と衆道

 幕末と衆道となると薩摩ばかりクローズアップされがちですが、土佐だって負けていません。五社英雄は本作で名を成した後、宮尾登美子の三部作で土佐の花柳界をどぎつく描くわけですが、土佐には維新に至るまで遊郭の類は存在しませんでした。

 明治になって遊郭が作られる時には何かの冗談かと人は驚いたほどです。つまり、そんなもの土佐には必要なかったのです。薩摩にも同様の逸話が残っています。

 とすれば龍馬たち三人が遊郭に童貞を捨てに行くノンケ臭い話など書いてあまつさえ龍馬を私物化している福岡の狂信者は歴史修正主義者というわけです。歌も芝居もなかなか上手いのに草野球のキャッチャーのような男です。ミットもない。

 土佐藩中においてもやはりノンケは変態であり、もし仲間内にノンケが居るのは仲間内全体にとって恥ずべき事でした。

 ではどうするか?仲間達が治療するのです。要はそいつの家に皆で押しかけて犯します。家族も歓迎の姿勢です。ノンケの息子など家の恥です。

 従って土佐藩にはレイパーが多く、例えば板垣退助は美少年と見れば押し倒すことで悪名高く、何度も処分を受けていることが記録にも残っています。土佐の男の男らしさが良くない形で発露する土壌が幕末の土佐にはあったのです。

 また、土佐藩士には山内一豊が連れてきた連中の子孫である上士と、長曾我部元親の遺臣の子孫である郷士とがあり、両者には差別的な線引きが存在しました。

 郷士は被差別意識にひねくれつつも上士以上に武士であろうとし、そのエネルギーが維新の原動力となったのです。武士らしさとは何か?勿論衆道です。

 そして、上士が郷士を犯しても罪に問われなかったのは言うまでもありません。かくして土佐の高知は今日も台風に見舞われ、虹がかかるのです。

他の藩と衆道

 薩長土肥というくらいですが他はどうなのか?怪しいものです。

 肥前は三島先生も好きな「葉隠」で有名ですね。武士の心構えを書いたガイドブックです。当然武士の心構えの中には衆道のノウハウがあるわけです。

 また、葉隠は巻頭に読んだら燃やせと書かれていて門外不出とされていました。それほどの重要なバイブルであり、肥前藩士は葉隠れを基準に全てを決めていたのです。当然衆道に走ってしまうのです。

 これに対して、長州は藩法で衆道を禁止していました。だから長州の元勲は伊藤博文を筆頭に撃ち殺されて当然の女たらしばかりです。

 悪い言い方をすれば、薩摩や土佐の男達が愛の為に殺し合っていた時に、長州のガチノンケどもは芸者を弄んでいたから生き残り、維新後にデカい顔をしたのです。

 しかし、それは衆道によって生まれる愛があまりに重く、武士の間では男の取り合いで刀傷沙汰など日常茶飯事である事を危惧した結果です。

 話は前後しますが、土佐で起きた所謂「井口村事件」は男同士の痴情のもつれが土佐藩士の内ゲバに発展したという物です。ですが、こんな話はより衆道にオープンで戦国の気風が残っていた江戸時代初期には珍しくもなんともなかったのです。

 しかし、禁止するという事はそれだけ裏では盛んであるということの裏返しであると考えられます。

 衆道関係にあったとしか考えられないほど毛利の殿様に大事されていた吉田松陰は生涯童貞であったとされますが、男については何の記録もありません。

 おそらく、松下村塾は毎晩ハッテン場となっていたと私は睨んでいます。そして、大村マス痔瘻もとい益次郎は肛門科として優れていたはずです。

 益次郎とシーボルトの娘のイネとのロマンスなど描いた漫画がありますが、あの漫画は「あえて避ける」の典型例のような作品なので鵜呑みにしてはいけません。

 まあ、そう言いつつ私は『風雲児たち』の大ファンですし、皆様にも読むことを強くお勧めします。ドラマ版はもっとです。

幕府と衆道

 一方幕府側はどうか?大奥は家光のガチホモぶりを危ぶんで作られたのは有名ですが、他の諸藩にも規模はともかく同様の物がありました。つまり、それだけホモ大名が多かったという事です。

 そして、武士というのは長男だけが財産も家督も相続できる長子相続であり、次男以下は上が死なない限り嫁も貰えず冷や飯くらいで生涯を終えるのが常でした。

 その為に遊郭が繁盛したという事になっていますが、当然男同士で安上がりにそのうっ憤を晴らす武士が大勢居たわけです。陰間茶屋も大繁盛だったのが動かぬ証拠です。

 そして、幕府が京都の治安維持を会津藩に命じ、その会津藩が武士になりたくて剣を修行していた百姓を集めて作ったのが新選組です。

 会津もまた衆道については東の雄藩であり、その気風はいわゆる「会津っぽ」の気質から見て取る事が出来ます。

 この時代のメインキャストである新選組はサムライのパブリックイメージを築いていますが、実は武士は少数派でした。武士になりたい百姓町人がメインです。

 なので武士たらんとして衆道に走るわけです。近藤勇の日記には「ホモばっかりで困る」という愚痴と、痴情のもつれからくる喧嘩が絶えないという悩みが書かれています。武田観柳斎に男色要素の全てを押し付ける作家は、歴史修正主義者です。

 しかし、近藤勇は修行の妨げになるという名目であえてブスの嫁さんを貰ったくらいなので、土方や沖田が本命であった事は明白です。沖田総司女の子説はつまりそういう事なのです。

武士以外の衆道

 彼らに守られる人達はどうか?寺社についてはいちいち説明はしません。議論の余地など存在しませんから。

 そして公家は千年を超える歴史を誇る世界有数のホモの名門であります。藤原道長が男だらけの性生活を日記に書いているのは有名ですが、そんなのは氷山の一角に過ぎないのです。

 そして、当時の公家は完全に歴史の主役の座から転落して困窮を極め、次男以下は寺に売ってしまうのが常態化していました。

 家の困窮の為に寺に送られた高貴な少年たちがホモ坊主の股間の薙刀の餌食になるのは避けようがない運命なのです。実家の困窮を顧みれば、彼らは歯をくいしばって耐えるより仕方ないのです。

 それに源義経とか曽我兄弟とか、武士の苦労談にも寺に預けられるというのがお約束のように頻出します。それはつまりそういうことなのです。

 町人はどうか?彼らは金持ちです。江戸時代の金持ちは往々にして女に飽きて陰間茶屋に走ります。そして、商人を育成する丁稚奉公が高度成長期の制度終焉に至るまで男色の温床であったのは『ベスト・キッド2』でも説明したとおりです。

 当時大きな町には必ずあった陰間茶屋(上方では若衆茶屋と呼ぶ)ですが、多くは働く色子の供給源である芝居小屋、あるいはお得意様の多い商業地や寺社の近くにありました。

 もうお判りでしょう。京の町全体が悪徳と頽廃に満ちたソドムだったのです。硫黄の雨の代わりに血の雨が降ったのです。志士の血と腐女子の鼻血の雨が。

龍馬だってホモだ

 司馬遼太郎は衆道も包み隠さず描いた立派な作家ですが、その一方でお気に入りの人物は己の影響力を笠に着てノンケにしてしまうという悪癖があります。その典型例が龍馬です。

 土佐藩がホモ祭りであった事は力説しましたが、これでも福岡のあの狂信者以下、龍馬信者は龍馬がノンケであったと言い張り続けています。まったくもってみっともない話です。

 龍馬は実は純粋な武家ではなく、金で郷士の養子になり(郷士株を買うという)士分になった「才谷屋」という豪商です。

 純粋な武士でないからこそ衆道にも熱心であるはずですし、また金持ちなので男を買う金にも不自由をしません。

 また、龍馬が幼少期にはどうしようもない虚弱児であり、剣の修行を経て逞しくなったのは知られた話ですが、これもまた怪しい要素です。

 三島先生と同じじゃありませんか。三島先生はボディビルで逞しくなってしまったために男と思想をこじらせてついには切腹したのです。龍馬も逞しくなっていく過程でこうなっていたとしてもおかしくないのです。

 いずれにしても、龍馬はノンケと言い張っている連中は「同性愛は悪い事」という手前達の狭量な価値観がまず先にあり、そのちんけな物差しに基づいて私の竜馬がホモのはずがないと言い張っているに過ぎないのです。要はケツの穴が小さいのです。

 また、西郷どんは龍馬の親類の美少年に懸想し、小姓に寄越せと執拗にねだって困らせたという逸話があります。龍馬は多分自分の尻で事を収めたのだろうと思います。

BL的に解説(カップリング)

半平太×以蔵

 さて、いかに幕末がホモであったか明白にしたところで本題に入りましょう。以蔵は半平太の門人であり、以蔵は半平太に絶対の忠誠を誓っています。

 以蔵は己の身分の低さと無学さにコンプレックスを持っており、そのうっ憤を剣の修行にぶつけ、半平太に見出されたことで歴史の表舞台に立つことが出来たのです。

 以蔵にとって人を斬る事は自らの価値を証明することであり、自分より身分の高い同志に認められる唯一の手段でもあります。

 つまり、以蔵は認められたい一心で暗殺という所業に手を染めているのです。そしてそんな哀れな男の心理を利用するのが半平太なのです。

 武市半平太は愛妻家として知られ、これがノンケである根拠にされる事さえありますが、ゲイに案外愛妻家が多いのは『アンタッチャブル』述べたとおりです。全くあてになりません。

 そして今度は『脱獄広島殺人囚』で述べたホモの主従関係が生きてきます。アンコ(受け)はカッパ(攻め)に絶対服従になってしまう物なのです。半平太は無学な以蔵に衆道という崇高にして甘美な武士の世界を教え込み、支配下したのです。

 二人は京都に出て数か月で盛大に殺しまくり、土佐藩は幕末の主役に躍り出ます。そのキーマンが「土佐の黒龍」武市半平太と「狼」岡田以蔵です。

 狼ですって。何と言っても肛門の狼というくらいですからね。括約するのも納得というわけです。

 そして半平太は他の藩とも相談の上で勤皇の志士の中でも先駆者的立場の越後の本間誠一郎を消すことを決め、同志たちの前で本間をボロクソに言って暗に以蔵に消すように指示します。

 果たして以蔵は難しい本間殺しを見事にやってのけますが、愛刀の肥前忠広が刃こぼれしてしまったので手当金を貰うついでに砥ぎに出してもらい、その間半平太の刀を借ります。

 考えて見て下さい。刀は武士の魂です。みだりに人に貸したりしていいものではないはずです。しかし半平太は貸した。これはもう実質セックスです。

 そして、吉田東洋暗殺の調査に来た目付の井上佐一郎は「好ましからざる人物」だと同志から暗に殺すよう頼まれます。

 これが以蔵は気に入りません。「武市先生ならいざ知らず」「殺してほしかったら両手ついて頼め」とぼやきます。そう、以蔵にとっては先生>>>党なのです。

 そして以蔵はおみののもとにしけ込み、勤皇党の革命が成功した暁には武市先生が大大名になり、おみのに楽な暮らしをさせてやれると夢を語ります。全盛期のエロエロな倍賞美津子を前にしても武市先生なのです。ストロング金剛姐さんもびっくりです。

 そこへ姉小路と妹の綾姫(新條多久美)が訪ねてきて以蔵が態度の冷たいこのオメコ芸者に一目ぼれするシーンなども入るのですが、こんなのはどうでもいい事です。おみのの方が百倍いい女です。

 以蔵は井上を刀を使わずに絞め殺します。武市先生の魂をみだりに刃こぼれさせることなど出来ないからです。それが以蔵の愛なのです。

 しかし、武市は冷たく、大仕事である石辺宿への殴り込みから以蔵を外すことをその間に決めてしまいます。

 姉小路に土佐はやる事が荒っぽすぎると叱られた上、腰抜けノンケばかりで腕利きの居ない長州の手前もあるので以蔵に暴れさせるのは不味いというわけです。

 しかし、以蔵には延期と嘘をついてその間に決行しようとしたから話がややこしくなります。止め役に皆川を残しておきましたが、以蔵は皆川に事実を知らされて慌てて褌を締めるサービスシーンの後京から近江まで九里十三丁(40キロくらい)を突っ走って現場に間に合わせてしまうのです。

 以蔵の超人的な体力と純情さを計算に入れていなかった武市先生の黒星です。つまり、この愛は以蔵の一方通行なのです。相思相愛ならこの程度の事が分からないはずがありませんから。

 そして石部まで走り抜けた以蔵は「土佐の岡田以蔵だ」と唱えながら大暴れでメインターゲットを見事に殺します。そりゃあもう凄いアクションです。

 しかし、名乗るのは本当はルール違反なのです。褒めてもらえると思いきや叱られてしょんぼりする以蔵。武市先生と来たら「お前は拙者の命ずるままに動く」とスーパー攻め様態勢の上、手当金までケチる有様です。

 そんな以蔵に龍馬が勝海舟の護衛を頼み、引き受けて見事にやり遂げたもので余計に以蔵は怒られてしまいます。おまけに龍馬に維新が成れば身分制度は無くなると吹き込まれたもので余計に半平太は怒ってしまいます。

 そして「命じる事だけやれ」と独占欲をむき出しにし、「気に入らねば国へ帰れ」とブチ切れてジェラシーを爆発させます。

 しかし、以蔵は「俺は飼われたた犬じゃない」と反抗期に突入し、半平太との縁切りを宣言して完全に決別します。

 AFもといFA宣言をした以蔵はあちこちの藩に売り込みに行きますが、長州、熊本、薩摩、姉小路、どこも以蔵という極上のオスに未練たらたらですが、半平太の嫌がらせもあって以蔵を抱えようとしてくれません。

 半平太の醜い独占欲は居酒屋のツケを停止するという嫌がらせでピークに達し、新兵衛やおみのに励まされ、以蔵は涙ながらに半平太のもとに帰参します。

 「二度と先生に楯突きません」と土下座する以蔵にあくまで半平太は外道で、なんと姉小路暗殺を命じます。それもどこで手に入れたのか新兵衛の刀で。

 つまり仲が悪くなったので薩摩に罪を擦り付けて始末しようというわけです。もっとも、今は本当に新兵衛がやったというのが定説になっています。

 以蔵もドン引きですが、楯突かないと言った手前逆らえません。仲代達也の不気味な演技が炸裂です。

 以蔵は新兵衛を裏切った後悔の念に飲んだくれ、そこを浪人狩りに捕まって牢屋にぶち込まれてしまいます。半平太が以蔵を消す為にチクったのは明白です。

 半平太は奉行所からの通報で面通しに行きますが、これは以蔵ではないと言い切って完全に以蔵を使い捨てます。以蔵は無宿虎造という名前を牢役人に付けられ、焼き印を押されて京を追放されます。

 案の定やりすぎた勤皇党は土佐藩にとっ捕まり、土佐に戻った以蔵に逃げ延びた同志が身柄をかわす様に盛んに頼みます。以蔵が捕まると半平太の非道な行いがバレてしまうのです。

 しかし、以蔵は「俺は以蔵じゃない。無宿の虎造」とこの要求をはね付けます。完全に半平太との絆は壊れてしまったのです。まあ当たり前ですが。

 半平太は「以蔵はワシが育てた犬」と獄中でも独占欲を爆発させ、この勢いで日本で戦争をしようとぶち上げて高笑いする始末です。

 そして皆川に毒入りの酒を差し入れさせて以蔵を暗殺しようとしますが、以蔵は死にませんでした。

 半平太のあまりに汚い行いに以蔵は死罪を承知でおみのの借金三十両と引き換えに半平太の悪行を何もかもぶちまけます。

 思えば三十両という金額も意味深です。イエスとユダの一件が五社英雄の頭にあったのではないでしょうか?あの二人はもう議論の余地なきホモですし。

 以蔵はになります。しかし、以蔵は半平太は切腹と聞き、「俺もこれでやっと自由になれる」と呟いて刑場の露と消えました。まるでシェークスピアの悲劇のような幕切れです。

龍馬×以蔵

 本間誠一郎暗殺の命を受けた以蔵のもとに突然現れたのが龍馬でした。もっとも、二人は土佐では同じ道場に学んだ顔見知りです。勿論、当時から下半身も同志であったのは容易に想像が付きます。龍馬は身分で人を差別しないのです。

 龍馬は以蔵が半平太に命じられるまま人を殺しまくっているのを危惧しています。半平太に止めさせるよう進言しますが突っぱねられ、龍馬は飲み屋で以蔵を待ち受けて直接説得しようとします。

 居合わせた他の同志は適当ないちゃもんを付けて殺してしまえと焚き付けますが、以蔵は刀も借り物だし龍馬を殺すのが嫌なので困っちゃいます。

 聞きかじりと武市先生の洗脳に基づいて「天下国家の為」と人を斬る事を正当化する以蔵に対し、龍馬は「武市の言う事なら何でも間違いないのか?」と洗脳を解こうと腐心します。

 狡兎死して走狗烹らるの故事で以蔵が使い捨てられる未来を暗に示して揺さぶりをかけますが、以蔵の武市先生への忠誠心は龍馬の想像を超えていて、以蔵は全く本気にせず上手く行きません。

 しかし、以蔵は昼も夜も剣を交えた仲の龍馬がなんだかんだ好きには違いないので、逆に龍馬の身の安全を心配しつつ席を立つので。

 龍馬は「良い奴なんだが馬鹿に付ける薬はない」と苦い顔です。以蔵も以蔵で同志たちに同じことを言っちゃいます。そして、龍馬の飲み代も土佐藩のツケにするように言って大阪へ井上殺しに旅立つのです。私はこのシーンを見てめまいがしました。

 そこへ新兵衛がふらっと現れ、龍馬暗殺を宣言したものだからちょっとした修羅場になります。

 以蔵は新兵衛を説得しようとします。この二人のすれ違いの巻き起こす悲恋こそが本作の裏のテーマでもあるのです。

 井上を殺し、おみのと精の付きそうなタコの刺身を食べて休みをエンジョイする以蔵ですが、そこへ龍馬が訪ねてきます。龍馬と会う前におみのと一発済ませて会うのが実に勝新であり、これは龍馬との実質セックスとも取れてしまうのです。

 武市先生に知られると不味いと怖がる以蔵を連れて龍馬は姉小路の屋敷へ会談に行きます。そこで綾姫にけだもの呼ばわりされてしまうのですが、正直私にはこの女の存在意義が読めません。

 石部宿の件で武市先生に叱られてしょんぼりとしながら居酒屋にしけこんだ以蔵のもとに再び龍馬が現れます。ノンケの長州どもが土佐と薩摩の手柄に嫉妬して龍馬を狙うので迷惑しているそうです。

 そして、勝海舟もまた危険だというので龍馬は以蔵に護衛を頼みます。アホの以蔵でも勝海舟は敵だと分かっているので嫌がりますが、龍馬は「以蔵は以蔵」と以蔵の自主性を尊重しつつ、「武市の為になる」と以蔵を上手くコントロールして説得して護衛に付かせます。

 以蔵の傷心と武市先生の忠誠心を上手く利用するあたり龍馬はなかなかの策士です。

 そして以蔵は見事に長州藩士の襲撃を阻止するのです。しかし、お手当金もなく以蔵がこんな仕事を受けるとは思えません。勿論、身体で払ったわけです。

 しかも、維新が成れば身分制度はなくなると吹き込み、それなら綾姫もワンチャンあると以蔵は乗り気になってしまうのです。龍馬はもう以蔵の心が自分に傾き始めているのに気付いています。

 狙い通りケツの穴の小さい態度を崩さない半平太と以蔵は決別しますが、以蔵は新兵衛謀殺の片棒を担がされた挙句追放され、話は悲劇的な方向へ向かっていきます。

 追放される以蔵に手を差し伸べたのはやっぱり龍馬でした。そして一緒に薩長同盟実現の為に九州へ行こうとデートのお誘いです。

 龍馬と言えば九州へ新婚旅行へ行ったというのは有名な話です。つまり、龍馬にとって九州へ旅行へ行くのは最大の愛情表現なのです。

 しかし、以蔵は土佐に帰ってしまいました。以蔵の忘れられない龍馬はわざわざ以蔵を迎えに行きますが、以蔵の家に辿り着いた時にはもう以蔵は磔台でした。

 以蔵は死ぬ前に「最後に別れを言ってから」と願い出ましたが、それは許されませんでした。最後の最後に以蔵は龍馬の物になって死んでいったのです。

半平太×龍馬

 龍馬と半平太が親戚である事は既に述べました。龍馬にとって半平太は大切な兄貴分なのです。そしておそらく龍馬の最初の男であると私は睨んでいます。

 龍馬ノンケ説の急先鋒であるおみのの亭主の中学教師は怒り狂うと思いますが、そう考える方が自然です。高知県民の私が言うんだから間違いありません。手前は生徒にコンドームでも配ってろって話です。どうせお前は私や貫八先生には勝てねえんだよ。

 しかし、龍馬は半平太の想像を超えて立派な男になり、半平太のコントロールが効かなくなります。それどころか、本作では半平太の血で血を洗う戦術を危険視して止める立場です。

 特に以蔵に次々人を殺させることを非常に苦々しく思っています。三人は鏡川の土手で盛り合った仲なれば、半平太が以蔵を殺し屋としていいように使う様など龍馬はおぞましくて見ていられないのです。

 しかし、半平太はそんな意見をする龍馬が面白くありません。しかも龍馬は既に脱藩して勝海舟と引っ付いているのです。

 暗にお前も事によったら以蔵に斬らせると脅しをかけて京都から去るように言って相手にしません。

 どう考えてもホモのジェラシーです。お前も俺の言いなりになれと半平太は思っているのです。

 半平太は愛妻家ですが、愛妻家とは独占欲の強さの裏返しとも取れます。以蔵が言いなりになっているだけに龍馬の態度は余計半平太の癪に障るのです。

 以蔵に勝海舟の護衛を頼んだのに至っては半平太にとっては完全にNTRです。そして以蔵は完全に龍馬に心移りして半平太の元を飛び出してしまうのです。

 はっきり言ってこれは半平太が悪いのです。どっちについて行くかと言われて半平太を選ぶのは変態のマゾ豚だけです。

以蔵×新兵衛

 なんでこれまで総受けだった以蔵が新兵衛にだけ攻めなんだとお思いの方もありましょうが、これにはちゃんと根拠があります。

 三島先生は最初はタチ(攻め)から男のキャリアをスタートさせ、多くのゲイがそうであるように歳と共にネコ(受け)へとシフトしていったと言われています。本作の時点で三島先生は最晩年なのです。

 腐女子の皆様は意外に思うかもしれませんが、本物のゲイは同軸リバが基本なのです。どっちが掘るか掘られるかで揉める事がある程度にその立場は流動的であり、交代で掘って掘られてするのも珍しい事ではありません。

 これを考慮に入れて二人の関係性を見ればこの掛け算になるのです。それについてはこれから説明しましょう。

 この二人はライバルであると同時にお互いの腕を認め合い、実にホモ臭い関係になっています。それに勝新と三島先生は一回くらいヤっていた可能性も十二分にあり得ます。

 また、作中では描かれませんが、二人はしばしば一緒に暗殺をやる仕事仲間でもありました。それ故二人は気心が知れていますが、どっちかというと以蔵の方が新兵衛を意識しています。

 以蔵は行きつけの飲み屋のおかみに店の宣伝になるから新兵衛を連れて来てくれと頼まれ、「気性のさっぱりした良い奴だ」と大いに新兵衛を認めているそぶりを見せる一方、おかみが「一に田中新兵衛、二に岡田以蔵」と口走ると自分が格下に見られていると思って不貞腐れた態度を取ったりするのです。

 両横綱で同格と取り繕ってすぐ機嫌を直しちゃう以蔵が実にキュートです。こんなところに新兵衛の股間の関の孫六は反応してしまうのです。

 二人が作中初対面するのは以蔵と龍馬の痴話げんかの直後、居酒屋にふらっと新兵衛が入って来て出くわします。

 そして、新兵衛は龍馬を殺すと宣言してしまうのです。しかし龍馬は店に居るので修羅場になります。

 以蔵は龍馬はアホだからお前ほどの男が出張らんでもとやんわり新兵衛を説得しようとします。しかし新兵衛は「同じ土佐だと裏切者でも人情が絡むと見える」ときつーい一発です。

 新兵衛は二人の関係を知っているのです。それが面白くないのです。一緒に修羅場を数多潜って来た以蔵には自分だけを見ていてほしいのに、龍馬は付き合いが長いというアドバンテージがあります。

 以蔵は酒を酌み交わしながら必死に説得を試みますが、新兵衛は本気にしません。完全にホモの三角関係です。

 都知事×先生×オーラの人、成駒屋×先生×大和屋と、二つも男だけの三角関係を残して切腹した先生の事ですから、私と似たようなことを考えていたと思うのです。

 石部宿で豪快な示現流を披露した新兵衛が次に以蔵と再会するのは半平太と決別して飲んだくれる居酒屋でした。

 半平太と決別し、ツケまで止める陰湿な攻撃を受けてに荒れる以蔵に「半平太もあこぎな」と新兵衛は同情し、「ここの払いくらいはいつまでもこの俺が」と優しい言葉をかけるのです。

 新兵衛の胸で男泣きに泣く以蔵。「何も言うな」と新兵衛。三島先生はきっとギンギンだったと思います。場面切り替わって今度はおみのの膝枕で泣くのですが、この間に居酒屋はゲイバーに変身したはずです。おみのなどコンドームです。

 しかし、以蔵は新兵衛に罪を擦り付けて姉小路を斬るという裏切りを強要されてしまうのです。白々しくも慌てて駆けつける半平太をしり目に以蔵は布団にもぐってうずくまるばかりです。

 新兵衛は奉行に呼び出されて詰問されますが、自分の刀を現場に落ちていたと差し出され、その場で三島先生入魂の演技で切腹してしまいます。

 以蔵は罪の意識に呑んだくれるばかりですが、三島先生は満足だったでしょう。筋肉と切腹を銀幕に存分に披露して死ねたのですから。

以蔵×皆川

 皆川は以蔵の世話係ですが、ここに半平太の腹黒さを私は見るのです。つまり、小姓としてイケメンの皆川を以蔵に付けているのではないかと。

 以蔵は異常性欲の持ち主であり、おみのだけでその有り余る性欲を処理することは難しく、また、男と女はバイセクシャルにとっては和食と洋食のようなもので、片方だけでは満足できなくなるものです。

 つまり、皆川は実際は以蔵ではなく以蔵の股間の肥前守の世話係なのです。皆川は以蔵の下の刀にメロメロにされつつも上の刀の腕前にも心酔し、以蔵もまた皆川を可愛がっています。案外この映画のベストカップルではないかと思います。

 以蔵を石部宿の襲撃から外す役を命じられた時も実に申し訳なさそうです。皆川にしてみれば以蔵に存分に暴れてもらいたいのです。

 しかし、以蔵は半平太と決別してしまいます。居酒屋で飲んだくれる以蔵を見る皆川の顔の悲しそうな事。しかし、皆川にはどうしようもないのです。

 皆川は下っ端なのが幸いして捕まらずに済みましたが、それ故半平太に汚い汚い仕事をやらされます。以蔵のもとに毒入りの酒を差し入れさせたのです。

 しかし、以蔵はもう半平太を信用していませんので毒味を命じます。そして皆川は死ぬのを承知で飲んでしまうのです。

 「岡田さんも疑い深い。僕までも」と皆川がこぼすのがポイントです。自分だけはまだ信じてくれていると思っていたのです。これが愛でなくて何でしょうか。

 しかし、毒が回って以蔵は助かりましたが皆川は命を落としました。この際飲まずに正直に吐いてしまっても良かったはずですが、皆川はそうしませんでした。

 愛です。以蔵と死ぬなら本望だと思っていたのです。この地獄の飲み会は小者に過ぎない自分が以蔵を独り占めできる千載一遇のチャンスでもあったのです。

 皆川の死体を抱いて泣く以蔵。そして以蔵は半平太の悪行を全部吐く決意をします。立派な男が以蔵の身体を通り過ぎていきましたが、皆川こそ実は以蔵の本命だったのです。


BL的に解説(ナマモノ注意)

4人の疑惑

 さて、メインキャストの4人には全員根強い疑惑があります。順番にその辺を説明して締めにしましょう。

 まずは勝新。『兵隊やくざ』はホモ映画という自覚をもっていたと述懐していますが、これだけが根拠ではありません。

 勝新は元々は長唄三味線の家の出であり、幼いころから稽古場を持たされ、歌舞伎座に出入りする凄腕でもありました。

 ところで、日本軍が徴兵検査で若者を裸でずらりと並べてケツの穴を調べたのは有名です。そして痔持ちは力が入らないから兵役不適格とされていました。

 これにはがあり、軍紀を乱し性病を蔓延させる同性愛者を弾く意図がありました。士官学校は薩長土肥の伝統を引き継ぐホモ祭りで外国の軍人がドン引きしていたところに日本軍の矛盾を見るのですが、とにかく、当時の歌舞伎役者は軒並み痔で兵役を免れたのは事実です。

 そんなホモの楽園に腕利きの美少年が出入りして無事で済むはずがありません。そして勝新の弟子の筆頭と言えば何と言っても松平健になるわけですが、この人の疑惑はもはや周知の事実です。勝新が仕込んだと言われています。

 続いて仲代達也。この人は俳優座出身で、平幹二郎、加藤剛と三人合わせて「三姫」と呼ばれていたと言われています。ゲイ三人組と言わけです。

 平幹二郎については昔から公然の秘密とされています。佐久間良子と離婚する時にアウティングされ、東スポの一面を飾りました。

 そして加藤剛日本初のゲイ映画『惜春鳥』で知られる日本のヴィスコンティ、木下恵介に取り立てられてスターになりました。吉永小百合から貰ったラブレターをにべもなく捨ててしまった武勇伝が有名です。

 そして仲代達也に姫とくればもう『ゴールデンカムイ』の漫画史に残る名エピソード『親分と姫』です。親分のモデルは若山富三郎。勝新のお兄ちゃんですが、勝新当人のエッセンスも色濃く反映されています。

 そして五社英雄に仲代達也とくれば樺戸囚治監を舞台にした『北の蛍』です。それを踏まえて観ると別の物が見えるのです。

 それに仲代達也は黒澤明のお気に入りでもあります。黒澤明の疑惑もまた有名であり、勝新は『影武者』を仲代達也に明け渡して降板する時に「ホモの映画なんか出れるか」と悪態をついたと口碑が残ります。なんとも奥の深いエピソードです。


 続いて裕ちゃんですが、これはあまり深い説明は要らないでしょう。石原軍団は楯の会と構造的には何も変わりません。

 そして、本当の死因は女遊びに飽きて男遊びに走った末にフレディと同じ病気にかかったからだとも当時から噂されています。とすれば、渡哲也が大腸がんになったのはつまりそういうことです。


 三島先生はもう議論の余地なしです。ただ、先生は50年前の11月24日、楯の会の面々と一列に繋がって気合を入れ、その結果検死解剖で腸からあらぬものが出てきたという噂は有名です。

 先生は兵役逃れをした結果友人が軒並み自分を残して靖国神社へ行ってしまった事があの事件の動機になったとも言われていますが、この噂を聞いて正直に兵隊に行ってニューギニアで地獄を見た水木しげる先生は「それって気持ちいいんですか?」と尋ねたとも伝わります。

 どこまでもこの「楯の会」ならぬ「縦の会」は数珠つなぎにできるのですが、きりがないのでこの辺でよしておきましょう。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介し

『兵隊やくざ』(1965 大映)(★★★★★)(勝新大暴れ)
『座頭市物語』(1962 大映)(★★★★★)(勝新大立ち回り)

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