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「パリに暮らして」 第18話

 ――深夜のうちに現場視察を行ったオランド大統領は、翌日フランス全土に非常事態宣言を出した。丸顔で小太りの、普段はどこかお人好しのお坊ちゃまのような風体の柔和な顔をした現大統領は、この日ひどく怒りに燃えた、こわ張った表情を浮かべていた。
 各界の著名人が哀悼あいとうの意を表明し、市民達もテロの現場となった場所におもむいて祈りをささげた。おびただしい数の花束やキャンドル、メッセージカードがそなえられ、世界中のSNSはパリへの追悼ついとうメッセージであふれかえった。オランド大統領はさらに、この日から三日間を、国民服喪の日とすると発表した。犠牲者は合計百三十人にも上った。
 パリは、哀しみに包まれていた。私はそれをすべて、柊二さんのアパルトマンの中で知った。テレビのニュースを見たり、自分の携帯で日本のニュースをチェックしたりして過ごした。
 本当に、ひどい夜だった。リザはどうなったのだろう。相変わらず柊二さんから連絡はなかった。
 
 ――柊二さんが帰ってきたのは、午後も遅く回った時間帯だった。疲れた様子で力なくアパルトマンの鍵をテーブルの上に置き、ソファに座り込んで両手で顔をおおい、しばらく何も言わなかった。
「お帰りなさい。疲れたでしょう」
 私は熱い緑茶を入れて、テーブルの上に置いた。柊二さんは顔を上げると、ゆっくりとそれを飲んだ。目の下には昨夜一睡もしていないことを表すくっきりとしたくまができていた。その目には、絶望と狼狽ろうばいの色がにじんでいた。
「リザを見てきたよ」
 ぽとりと、床の上にものでも落とすような言い方で柊二さんは言った。
「バタクラン劇場で襲撃にあったそうだ。逃げているところを、後ろから撃たれたらしいってことだった。背中と、頭を撃たれてた」
「えっ」
「命は取り留めたんだが、いまだに意識が戻らない。背中の銃弾は救急処置で取り除くことができたそうだ。頭のほうは、まだ中に残ったままだって。意識が戻ったら、精密検査をするそうだ」
「……どうなるの……」
「まだ、何もわからない。医者も、今の状態ではとりあえずできることはないそうだ。意識が戻れば何か処置を考えられるけど、今は傷の手当てをして、点滴を打ちながらICUで様子を見ている状態だ」
「柊二さん……」
 それ以上、私は何を言っていいのかわからなかった。柊二さんも、何も言うべき言葉が出てこないようだった。

 私達は、押しつぶされそうな沈黙の下で、長いことうつむいていた。


 ――少し眠りたいと言って、柊二さんは寝室に入っていった。一日中、リザの主治医との打ち合わせや入院の手続き、それに入院に必要なものを取りにリザのアパルトマンへ行って準備したりしていたのだという。帰ってきて私と顔を合わせたときには、疲労困憊ひろうこんぱいの状態だったのだ。私は柊二さんを寝室まで見送り、ベッドに入るのを見届けてから、静かに自分の部屋へ戻った。
 翌日、昼近くに起きてきた柊二さんは、簡単な朝食をると、病院へ行くと言って再び出かけていった。そしてそのまま帰ってこなかった。

 
 私はひとりで台所へ行き、コーヒーを湧かして飲んだ。薄く切ったトーストを焼き、栗のジャムを戸棚から出してきて、チーズナイフで塗って食べた。お腹は空いていなかったけれど、何か温かいものを口に入れたかった。
 柊二さんからは何の連絡も無かった。アパルトマンはあまりにも静か過ぎて、私は段々といたたまれなくなってきた。ひとりでそうしていると、徐々に不安な気持ちが持ち上がってきた。
 居間でソファに座っていることができなくて、とりあえずバスルームへ行って、長い時間をかけてシャワーを浴びた。それでも体は温まらず、心細さはどんどんつのっていった。
 私は湯船にかろうと思った。浴槽にお湯を張って、中に入った。ボルドーのワイナリーで買っていたミモザの香りの入浴剤を入れて、何とか気分を引き立たせようとした。土臭さの交じったようなその香りを肺の奥深くまで吸い込んで、天井を見上げると、ほんの少しだけれど落ち着ける気がした。
 私は湯舟の中に沈んでいくような気持ちで目を閉じた。

 夜になっていた。自室に戻ってから、ベッドの中でリザのことを祈った。信仰とはおよそ縁遠い身ではありながら、その晩私は、初めて誰かの為に祈った。どうか、リザが意識を取り戻しますように。そして、柊二さんの心痛が、少しでもやわらぎますように……。

 希望的な出来事も無いではなかった。翌朝ネットニュースを読んでいたら、パリに住むあるジャーナリストのメッセージが掲載されていた。
 彼は、あの晩の襲撃で、妻を失っていた。けれどそのことに対する哀しみや怒りを表現する代わりに、彼は自らのフェイスブックに、テロリストに向けたメッセージを書き込んでいた。
 
 
 ――私は、あなた達に憎しみをあげない
 あなた達に憎しみをあげて、あなた達の願い通りにはならない
 私と幼い息子は、普通に食事をし、自由で幸せな人生を送ることで、あなた達に勝利する。そして、私の美しい妻と楽園で再び出会うのです。そこはあなた達が入れない場所です――
 
 
 生後十七ヶ月の息子を残して妻が犠牲になった彼の書いた、こういった趣旨のメッセージを読んだ時、私は涙が込み上げるのを感じずにはいられなかった。特に、その中の「私と息子は二人きりですが世界中のすべての軍隊よりも強い」と記した言葉には、すさまじい力強さを感じた。胸をぎゅっとつかまれるようだった。もし自分の伴侶はんりょがテロにって殺されるようなことがあったら、自分からこのような発想が出てくるだろうか……。この人のものの考え方、そしてテロという暴力に対する全く新しい態度に、フランス人という人達の底知れなさを感じた。
 彼の残したメッセージは、インターネットを通じて世界中に広まり、数十万人に共有された。

 そして、この考えが波紋を呼んだのだろうか――。驚いたことに、週明けには、パリの人々は、まるで何ごとも無かったかのように、カフェに戻り始めたのだった。恐れず、嘆かず、殊更ことさら忌避きひしようとせず、通常の生活を続けることによってテロに対抗する姿勢を示すかのように。
 私は、彼等の行動に驚いた。普通なら考えられないことだと思った。あんな恐ろしいことが起こった後には、犯行現場となった場所にはロープが張られ、花束の山が築かれ、人々はしばらくの間、人が集まる所への外出を避けるようになるのが普通ではないだろうか。我々は、陰惨な事件が起きた場所や状況を避けたがるものだ。しかしこのフランスの、パリの人達は、まるでその恐怖の記憶を自分達の前向きな意識で塗り替えようとするかのように、そしてえて彼等テロリスト達の思惑おもわくくじこうとでもするかのように、毅然きぜんとしてカフェに座っているのだった。彼等一人ひとりの顔には、はっきりとした意志を表す無言のメッセージがめられているように見えた。何ものにも決して奪うことのできない、確固とした事に当たる姿勢アティテュード。それはまぎれもなく、彼等の持つ〝強さ〟だった。
 
 
 私はその週、三日間学校に行き、最終試験を受けた。成績は思ったほど振るわず、中の上くらいの判定となった。リスニングでの書き取りに少し問題があった。
 学校が引けてから、毎日カフェ・クレスポに寄ったが、一度も柊二さんの姿を見ることは無かった。ムッシュ・グンデルフィンガーが気にかけている様子だったので、私は柊二さんの状況を簡単に説明しておいた。
「そうか」
 短い言葉とは裏腹に、その表情から、彼がひどく心を痛めたことが伝わってきた。私の話が、彼の胸の内に時間をかけて染み込んでいくように見えた。
 ……ユダヤという民族に生まれ、何世代にも渡る幾多いくたの迫害と暴力にさらされた歴史を遺伝子の記憶に持つはずの彼は、この出来事をどんな風に受け止めたのだろう。その時彼は、私には計り知れないほど複雑で、深遠な表情をして見えた。市井しせいの人としてパリに長年暮らし、想うことは幾つもあっただろう。けれど彼はその時、独り言のようにただこうつぶやいた。
「――自我の押しつけが、暴力に繋がる。いつの時代でも……結局のところ、そうなんだ。自分達は他と違う、と考えることこそ誤りなのに」

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