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進化とは予期せぬところから始まるのか?

外出自粛の中、皆さんの心とは裏腹に晴天の日がつづく。
ごきげんよう。アフロシンです。

早速最近の情勢はというと・・・

ハーバード大学の専門家チームは「2022年まで外出制限が必要」と述べている。”ウィズ”として向かい合っていかなければならない。
https://mainichi.jp/articles/20200416/k00/00m/040/171000c

う~ん。2年間家の中でEZ DO DANCE(TRF)をしていたら楽しくやり過ごせるだろうとポジティブに思うこの頃。

■ウィズ時代には「適応力」を身につける

未来の”アフター時代”を考えよう。アフター時代、僕たちはどうなっているだろう?間違いなく「適応力」は上がるだろう。ライフワークバランスの変化に対応できてくると思う。最近でいうと飲み会の変化がある。無限に飲み続けられるzoom飲みは飲み会が変化した代表例といってもよいだろう。アルコールアレルギーのアフロシンにとってはありがたい。何飲んでるかわからないからだ。嬉しい飲み会だ。まあ1回もしたことがないのですが。 

■アフター時代は何を大切に生活していくのだろう?

まず大事なことは変わらず「命」だろう。天国には老衰でいきたい。きれいな景色を見ながら天国にいきたい。きれいな人に囲まれて天国へいきたい。リングで燃え尽きたい(あしたのジョー)色々あるだろうが、病で天国に行きたいとは中々思わないだろう。いたとしても、それはそれでよいと思う。

病にかからないよう生きるには、健康であることが大切だ。健康であるためには清潔で衛生管理が整った生活を送ること。これが”アフター時代”の軸になっていくであろう。

■健康であるための秘訣は適応障害から学んだ

ある時アフロシンも適応障害になった。今では適応障害克服したぜ。多分。と自信を持って言える。適応障害を乗り越えるための取り組みは、健康になるために欠かせないことだ。試練(適応障害)は予期せぬところから始まった。自分が進化しないと試練は乗り越えられない。メンヘラのアフロシンがどう乗り越えていったのか、これまでの経験を通して解説していこう。

■適応障害ってなんでなるの?

僕の場合はストレスだろう。何のストレスかというと仕事だ。転職する前は少し大きなPR会社に勤めていた。当時のメディアプロモーターの評価はメディア露出数や広告換算費といった数字だ。もちろんそれは大事だ。しかし心の中で誰が喜んで、どんな役に立っているのか分からなかった。※今思えば青臭く本質をついていなかった。

その後しばらく仕事を続け退職した。退職後は実家で幼馴染の兄さん(友人)の所で3か月ほど大工をした。もちろん業務内容は家づくりだ。今までとは違う。ただやりがいはあった。家を建てればお客さんは喜ぶ。

新しい家が建てて、新生活に目が輝くお客さんの姿に自分でも嬉しくなった。それだけで僕の承認欲求は満たされた。

まあ一生大工でも良いかなと思っていたが元々ケガ持ちでもあったため、うまく付き合いながら仕事をしていた。そんなとき先輩から「沖縄で期間限定でカレーパン屋をやらないか」と連絡があった。非常にお世話になった先輩だ。翌日には大工を辞めると兄さんに話した。古い付き合いのためいつも僕の考えは見透かされていた。兄さんは「どうせ辞めると思ってたよ(笑)肉体労働者の気持ちを理解して、デスクワークに励め!」と言われあっさり辞めた。後々母親に聞いた話だが、大工を始めた時に僕に内緒で兄さんは僕の母親に電話をしていた。「あいつ(アフロシン)に大工をさせるが、もしやりたいことが見つかって辞めるといったらすぐ辞めさせるよ。ここにいる人間じゃない(そもそも不器用で向いてない)からそこらへんは大丈夫」と一本電話を入れていたそうだ。あ~相変わらず不器用で優しい兄さんだ。普段はあんまり話さない。もちろん実家に帰ってきた理由なんていまだに話してはいない。母親から話を聞いてアフロシンの心にも火が付いた。そんなことされたら頑張らずにはいられねえ。パン屋での体験で、なにか発見しないとと強く思い、沖縄へ旅立った。

パン屋の業務内容はシンプルだ。「パン焼く」「パン売る」「チラシ配る」であった。沖縄生活をしているなかで沖縄県民を人間観察をした。地元とは違う発見があった。店舗の隣はタピオカ屋だ。お店の人は美男美女夫婦でとても面白い。一緒に働いていたスタッフも温かい人ばかりであった。沖縄には「ゆいまーるの精神」という内地にはない文化があった。簡単にいうと助け合いの文化だ。

沖縄県は都道府県調査によると離婚率が1位。
https://www.tantei-ns.com/blogs/divorce/divorce-rate/

結婚の幸福度ランキングも1位だ。
https://dime.jp/genre/865879/

僕の推測によると沖縄県民は優しすぎるという特徴があると思う。県民の優しい心に救われたことが何度もある。そんな優しい沖縄で仕事ができたことは僕にとってプラスでしかない。さらに沖縄での体験が今の仕事に繋がっているともいえる。その瞬間はある日突然きた。 

 ー「PRやろう」

 Ohhhh!当時やりがいを見いだせていないPRをやるのか。やるせない気持ちではなく、沖縄県の皆さんにカレーパンを知ってもらうには良い機会だなとポジティブに思った。それは純粋にカレーパン美味しいと感じていたからだ。

 ■学び

①PRは認知力向上の手段
②美味しいから知ってほしいは作り手の想い(生産はしていないが焼いていた。)

なに当たり前の事言ってんだよ。そう思うくらいすんなり出てきた感情だ。メディアに取り上げられた翌日というと、店舗には「Yahoo!見てきました。」「記事読みました」といったお客さんが来た。もちろん一時的に売り上げは上がった。

③売上が上がると事業者は嬉しい

Ohhhまた当たり前の事言っているよアフロシン。こうして沖縄での生活はPRを自分事に落としきることができた。帰省後すっきりしてアフロにしたことは言うまでもないだろう。

PRは最後にするものだ。最初にするものではない。作り手の想いからプロダクトができてオペレーションが整って販売するときに認知拡大を目的として使う手法だ。恥ずかしながらそんなことも気が付けない時代もあった。

その後は、PRもできて、クリエイティブも出来る企業に就職した。話は長くなったがこの時”適応障害”になった。

ーは?なんでやねん。

ようやく思考が整理されやりたいことができるような環境に来たのに、病は突然やってきた。自分でもどうしようもできなかった。ストレスの原因になった大きな理由は仕事に没頭したことだ。苦しいが楽しかった。新しいことも学べた。しかし能力が追い付かない。足りない。足りない。足りない。やるしかねえ。。。。 

ー みなさんおわかりいただけただろうか。


既に周りを見ることはできていなかった。あるのは焦りとスキルアップ欲求。正直あまり覚えていないがそんな感じだった 。

  ■こうなったら病院へ行け

・耳が聞こえない
・会話が続かない
・寝れない
・満足した運動ができない
・とりあえずうぉぉぉってなる 

特に寝れないは最初の症状かもしれない(自論)むっちゃ疲れたわ~寝れん。こうなったら生活を見直す必要がある。 

  ■適用障害と診断されるとどうなったか(自論)

・情緒不安定
・病気と知って謎に少し安心する
・何もしていないのに怠い
・動けない
・頭が割れるほど痛い
・耳キーン
・鼻が妙に敏感
・後先不安
・誰とも連絡とりたくない
 
※よくあるやつ。

しかし、復帰。 

  ■乗り越え方(自論)

・とりあえず休養(ちょっと動こうかなって自然に思うまでなんもしない)
・良く寝る
・頑張って自炊する
・ジムに入る(人に会いたくないときは深夜にいってた)
・観葉植物を買う(水あげて新芽でるとなんか嬉しかった)
・調子よくなってきたら、親しい人に会う
・同じ病の人にあって、経験を聞く

すると、ある日自然になんてことない生活が戻ってくる。お気づきだと思うが、乗り越え方はほぼ通常状態ならできること。普通のことができなくなるだけで、調子はどうだHEYHEYと上がっていかない。

あ、適応障害で減るものも書いておこう。しかしこんなこと休養中は気にすることはできないと思う。 

  ■適応障害で減るもの

・信用(これはきつい。相手も自分の状態を知って不安になる)
・時間(これもきつい。知らぬ間に時間たってるなんてマジック)
・友人(まあごみ捨てくらいの感覚でいればよいだろう)
・贅肉(お肉減るよ)
※これも当たり前なのだが休養中にこれに気付くことはなかった。

友人が減ろうとも病気であいつ頭おかしいと思われて去っていかれたとしても自分にとって大したことじゃないだろう。  

ー最もきついのは信用を失うことだ。

これはスーパーきつい。
仕事面だと仕事まわしたら、きつくて仕事がこなせないのではないか?と思われることも多い。復帰までの空白時間があったため実用的に稼働できるようになるまで時間がかかると思われる。納得。これは自分の想いではなく、相手の想いだ。その信用を回復するには非常に時間がかかることが分かった。そしてそれを知ったとき、気になって仕方がなかった。「経過観察しながら仕事を振っていく」その言葉は受けての僕からしたら「監視」されていると思う。アフロシンはメンヘラかよ。まあ会社として当然の判断だ。

適応障害を克服して待っていたことは自分の想いと、相手が想っていることのギャップだ。

これは辛いかもしれない。相変わらずやるしかないと思っていたからコツコツ頑張ってたつもり。まさに「やるか。やるか」※ローランドかよ
辞めるか、辞めないか生きてきた過程で色々考える。決めるのは自分だ。僕は辞めない判断をした。それが正解かは今のところ分かっていないが辛い道だとは思っている。

もっときつかったことはプライベート面で信用を無くすことだ。先ほど友人が去っていくと書いたが、それは自分にとってもどうでもいい人と限定される。思いもよらぬ人が去っていくほど驚きがあってきついものはない。

アフロシンの例でいうと、大前提に適応障害になったときは正常な判断で行動していない。その姿を正常な友人が見るとそれはそれで辛かったと思う。気にしてくれているのに、心無い言葉を吐いていた。これは復活してから友達から聞いた言葉だ。申し訳ないなと思った。相手にとってもストレスを与えてしまったことが予期していなかったことだ。

話が重くなってしまったが、離れていった人達のメリットもあると思う。”適応障害”を知ったことだ。今自分がこれを言語化できているのは進化したからだ。※と思いたい。

■適応障害から学んだこと

・健康でいられるルーティン
・人のやさしさ
・人のこわさ
・必ず誰かには自分が見られていること

適応障害の乗り越え方がアフター時代で当たり前のことになるだろう。適応障害後の周りの目。適応障害中の周りの目。気になるが気にならない。そんなスタンスでいられる理由は、心に神様を宿したからだ。※宗教かよ。
自分の理想や心の中に秘めている思いを具現化した人工神様だ。この神様に見られて恥ずかしくないと思える行動が、自分のスタンスであり周りの目が気にならないコツだ。

ー僕でいうと”アフロ神”

アフロ神はアフロシンの心に帰属します。
アフロ神はアフロシンのすべての行いを見ています。
在宅でチョコを食べているときも、
サボりたくなっているときも、
もちろん頑張っているときも見ています。

アフロ神にアフロシンが見られたくない行動や言動をしないことが、相手にどう想われるか俯瞰してみる方法であり自分のスタンスだ。

※ただアフロシンはつくった神を間違えたために、結構サイコパス。

そんなこんなで、色々あったがアフター時代を生き抜くすべはすでに知っているかもしれない。
今でも連絡を取る仲間は最低で最高な仲間といえるだろう。
まともすぎる人しかいない。
まじでありがてえ。


いついかなる時も、変化は突然やってくる。

基準は自分が健康状態を維持できるか。

時代の流れに適応しつつ自分のスタンスを貫けるか。

アフター時代になるころには最強の肉体と最強の適応力、

そして最高の仲間だけが残る。

それは環境に合わせたからと言って退化するものではない。

進化するものだ。

進化はいついかなる時予期せぬところから始まる。

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