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史的イエス論『ナザレのイエス:思想の起源』発売中


・書籍名:ナザレのイエス:思想の起源
・著者:鈴村智久
・出版社:デザインエッグ社
・版番号:初版
・販売価格:4,730円(税込)
・判型:A5判/430頁
・ISBN-10:4815035083
・ISBN-13:978-4815035082
・発売日:2022年10月3日
・寸法:14.8 x 2.46 x 21 cm

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【内容紹介】


●「史的イエス」論の現在


「ナザレのイエス」と聞くと、例えばヨーロッパの大聖堂に描かれた十字架上のキリストや彫刻をイメージされる方もおられるかもしれません。
あるいはバッハやヘンデルの音楽、映画では『パッション』や『マグダラのマリア』などで描かれたイエスを思い出す方も多いかもしれません。
本書で関心を向けているのは、芸術的に「イメージされたイエス・キリスト」ではなく、「歴史的人物としてのナザレのイエス」です。

「コリントの信徒への手紙二」
(3世紀頃に成立した最古の新約聖書写本、チェスター・ビーティ図書館蔵)

この歴史的人物としてのイエスに焦点を当てて、福音書の中でどこまでが史実的根拠を持つのかを当時のユダヤ教文献などを参照しながら厳密に精査していく作業が、これまで「史的イエス論」という研究分野の学者たちによって行われてきました。
20世紀ではドイツのルドルフ・ブルトマンを始め、ギュンター・ボルンカム、C・H・ドッド、ヨアヒム・エレミアス、エティエンヌ・トロクメ、マルティン・ヘンゲル、ゲルト・タイセンといったこの分野では知らない人のいない新約聖書学者たちがすでに非常に優れた業績を残しています。

ルドルフ・ブルトマン
(Rudolf Karl Bultmann, 1884年8月20日 - 1976年7月30日)
ヨアヒム・エレミアス
(Joachim Jeremias, 1900年9月20日 - 1979年9月6日)
ギュンター・ボルンカム
(Günther Bornkamm, 1905年 10月8日 - 1990年 2月18日 )

日本でも荒井献、大貫隆、青野太潮といった研究者が海外の研究に引けを取らない極めて秀逸な史的イエス論を数多く発表しています。
本書は今ここで取り上げた代表的な研究者たちの主要文献はもちろんのこと、最古の福音書として知られるQ文書やユダヤ教の黙示文学なども適宜参照しながら福音書の中に分け入り、「史的イエス」の等身大の姿を可能な限り復元しようと試みた研究になります。


●「宣教開始以前」のイエスの謎に迫る


本書はイエスのナザレでの生育環境やテクトン(木工職人)としての労働状況など、宣教開始以前の精神形成についても頁数を割いております。
多くの研究者が主張するように、イエスの30数年ばかりの短い人生の中で、ナザレで暮らしていた期間は30年ほどであり、実際に彼が洗礼者ヨハネから洗礼を受けて宣教活動をしていたのはわずか2~3年(1年半ほどという説もあり)に過ぎなかったといわれています。

ナザレの街並み
(ファディル・サバ[Fadil Saba]による1925年のポストカード)

宣教以前のイエスというこの視点については、参考文献が最初から非常に限定されているものの、すでに北米のE・P・サンダースやJ・M・ロビンソンらの歴史的、社会的研究によって、当時のナザレ住民の宗教生活の様子が明らかにされつつあります。
本書ではこうした先行研究の成果を踏まえ、イエスがなぜ洗礼者ヨハネのもとを訪れたのか、なぜそれ以後ナザレでの宣教に対しては否定的になったのか、そして何よりもなぜイエスはヨハネの弟子集団から独立して単身で宣教を開始したのかといった重要問題について、徹底的に掘り下げて考察しています。

●「思弁的唯物論」との対決


イエスは「時間」をどのように捉えていたのでしょうか。
本書と他の史的イエス論を決定的に区別できる特色をひとつ挙げるとすれば、それはイエスの公的宣教の中心概念である「バシレイア」(神の王的支配)が持つ時間論的な側面に対して、「思弁的転回」(Speculative Turn)以後の現代思想のコンテクストに照らして考察を試みている点にあります。
具体的に言えば、思弁的唯物論の代表的論客であるカンタン・メイヤスーの主著『有限性の後で』第三章で展開された「事実論性の原理」(principe de factualité)に対して、イエスのバシレイア宣教がその思弁的なオルタナティブの萌芽として解釈できるという視点に立って議論を展開しています。

カンタン・メイヤスー
(Quentin Meillassoux, 1967年10月26日 - )

大貫隆はすでに『イエスという経験』でバシレイアの時間様相論的な側面を前景化させていますが、本書はこの問題系を引き継いでいます。
この世界のいっさいは、はたしてメイヤスーのいう「偶然性の必然性」に支配されているのか。
ユダヤ・キリスト教の神とはまったく異なる、「来たるべき復活の神」(「亡霊のジレンマ」)をも模索するメイヤスーに対して、イエスのバシレイア宣教の視座からはどのような応答が可能なのか。
本書はこのように、いまだに巨大な影響を与え続けている思弁的唯物論との「対決」という性格を併せ持っています。

●なぜ今、イエスなのか?


現代世界の宗教情勢を見ると、いまだに宗教間対立が様々な社会的不安を生み出しています。
キリスト教界の中でさえ、教会指導者たちによって何度も共通理念を話し合う国際的な場が設けられながら、現在もカトリックとプロテスタント諸派のあいだには様々な微妙な対立があります。
イエスをめぐってこれほど解釈が分かれるのはいったいなぜなのでしょうか。
問題の本質は、先述したように「信仰のイエス・キリスト」と「歴史的人物としてのナザレのイエス」を混同してしまっていることに帰着します。
信仰のキリストは数知れないほど存在しますが、その起源に位置する歴史上のナザレのイエスはただ一人です。
したがって、原点である「史的イエス」の真正の言葉群に立ち還ることによって、初めてどこからどこまでが「解釈」として出現したのかを見極めることが可能となります。
本書はこの史実的根拠という観点を重視し、神話化されたイエスではなく生身の一人の人間としてのイエスとその中心的思想に焦点を当てています。

本書がキリスト教の起源について深く学びたい読者諸賢にとって、真に有益な時間を提供することを切に願っております。
キリスト教の信徒であるかないかにかかわらず、一人でも多くの方にこの本を手に取っていただければ幸いです。

2022.9.17
鈴村智久


●本書「序文」より


「ナザレのイエスの歴史的実像について知ることは、キリスト教とは何かを理解したいと望むすべての読者にとって必要不可欠な前提である。キリスト教内部における宗派の対立を乗り越えるための鍵も、この共通の根に立ち還ることで初めて可能になるだろう。福音書記者の手によってイエスに神話化が施された箇所を把握した上で、それでもなお史的イエスの真正の言葉であると確証できる記録にこそ我々は信頼を置かねばならない。
[…略…]
 本書は三部構成になっている。第一部はイエス以前の、主として彼の教えに関係する重要な諸問題を扱っている。中心となるのは洗礼者ヨハネ論である第四、第五、第六章であり、ここでは歴史的人物としてのヨハネがいったいどのような人間であったのかについて、可能な限り分析を試みている。第二部はイエス論であり、エレミアスやドッドに従ってその宣教内容を私的なものと公的なものに区別してそれぞれ論じている。第三部はイエスの死後に弟子集団が発展させた復活思想と、イエスの神の国についての解釈がその後どのように受け継がれていったのかを扱っている。
 本書にもしも中心軸が存在するとすれば、それはもちろんナザレのイエスである。一見無関係なテーマであっても、すべてはこの人物をより深く理解するための補助線となっている。
 本書が何らかのかたちで、ナザレのイエスの実像について知りたいと思っている読者諸賢にとって有益な書物になることを切に願っている。もしも一人の人間が、そのけして長くはない人生の中でたった一つのテーマのみを追い続けようとするならば、ナザレのイエスこそはその情熱に応えてくれる最良にして最大の源泉であるだろう。」(以上、本書「序文」より部分抜粋)

●詳細目次


序文  3

第一部 イエスの宣教の思想的背景  18

第一章 ユダヤ的メシアニズムの基本構造  19

1 メシアとは何か  19
2 旧約・新約におけるメシア表現  24
3 メシアとなる者に条件はあるか  30
4 メシアはいつ来るか  31
5 メシアが到来すると世界に何が起きるか  36
6 メシア王国について  39
7 苦難のメシア  42
8 メイヤスーの「来たるべき神」と「サンヘドリン」の関係  48

第二章 第二イザヤ書における「苦難の僕」 56

1 第二イザヤの歴史的人物像  56
2 「終末のメシア」としての「苦難の僕」  59
3 「苦難の僕」とは何者か  63
4 「受苦」の形式の転移──皮膚病(第二イザヤ)から十字架刑(イエス)へ  66
5 「摩損としての自叙伝」──ポール・ド・マンの視点  71
6 メシアの複数性──アウシュヴィッツ以後  76
7 総括  79

第三章 列王記における自然表象  86

1  自然現象として顕現する神  86
2  啓示における表現の問題  91
3  エリヤとモーセの関係性  96
4  ヤハウェの「顔」  99
5  預言者としての自覚  103

第四章 洗礼者ヨハネ  106

1 洗礼者ヨハネについての伝承群  106
2 洗礼者ヨハネの誕生  112
3 洗礼者ヨハネの活動場所  115
4 なぜ荒野を選んだのか  120
5 「沈め男」から「洗礼者」へ  123
6 初期ヘーゲルの「イエスの洗礼」  128
7 福音書記者たちによる洗礼者ヨハネ像の書き換え  131
8 ヨハネの預言的黙示録思想  134

第五章 Q文書とマンダ教文書における洗礼者ヨハネ像  138

1 Q文書中の洗礼者ヨハネ①──メシア称号の変換  138
2 Q文書中の洗礼者ヨハネ②──イエスによる位置付け  143
3 マンダ教文書における洗礼者ヨハネ  145
4 ヨハネの弟子集団から見た原始キリスト教団  150

第六章 内在的荒野  157

1 洗礼者ヨハネの精神構造──エックハルトの「荒野」を参照軸に  157
2 洗礼活動に伴う自己意識の変容  160
3 「メシアニック・パラドックス」の問題  164

第二部 ナザレのイエス  171

第七章 史的イエスの基本的輪郭  172

1 少年期イエスの歴史的復元──家庭環境・テクトン・シナゴーグ  172
2 洗礼者ヨハネとの出会い  176
3 イエスの「覚醒体験」について  181
4 イエスの神認識──「アッバ」はなぜそう呼ばれるに至ったか  187
5 「最後の晩餐」の実像  198
6 イエスの逮捕理由の分析①──神殿での事件  204
7 イエスはなぜ裏切られたか──ゼーロータイとの差異  212
8 イエスの逮捕理由の分析②──アイスラー・テーゼ  219
9 二重裁判──ローマ法とユダヤ律法  223
10 イエスはみずからの死を予期していたか  227

第八章 ブルトマンの遺産  236

1 「決断」と「服従」  236
2 非イエス的な三つのカテゴリー  243
3 ブルトマンの「奇蹟」の解釈  247

第九章 イエスの私的宣教の中心概念──「人の子」  256

1 史的イエスの先行研究と問題設定  256
2 「人の子」概念のオリエント的起源──モーヴィンケルの解釈  261
3 イエスの「悲愛」と「負い目」──井上洋治と佐藤研の解釈  267
4 「苦難の人の子」概念の検証──エレミアスの解釈①  271
5 イエスは「苦難の僕」をどう捉えたか──エレミアスの解釈②  279
6 イエスの言葉とその余白性──ボルンカムの解釈  286 
7 イエスの尊称意識の問題──サンダースの解釈  295
8 集合的人格説──大貫隆の解釈  300
9 メシアニズムとの関係──様相論的解釈  308
10 総合的解釈──これまでの学説への批判的再検討  312

第十章 イエスの公的宣教の中心概念──「バシレイア」  319

1 バシレイア概念の起源  319
2 イエスのバシレイア宣教──「神の王的支配」と「人の子」  325 
3 イエス以後のバシレイア概念の変遷  331
4 バシレイアの時間構造①──「現在」と「未来」の中間  336
5 バシレイアの時間構造②──「絶対的現実性」と「絶対的偶然性」  338
6 バシレイアの時間構造③──時間原理Aと時間原理Bの思弁的運動  343
7 バシレイアの時間構造④──現在性・分有性・永遠性  346
8 バシレイアの経験可能性  349

第三部 イエスの死後  357

第十一章 復活思想の成立とその展開  358

1 古代エジプトにおける復活思想  358 
2 ユダヤ教における復活思想  360
3 キリスト教における復活思想  363 
4 パウロの「ダマスコ体験」の諸相  365 
5 幻覚説と非幻覚説  372 
6 復活の史実的解釈  377 
7 復活の神学  381

第十二章 バシレイア宣教における思弁的なもの  389

1 イエスの最古層の言葉における「無限判断」  389
2 バシレイアの思弁的構造  397
3 晩期パウロにおける「プレーローマ」  404
4 バシレイアの現実性①──パウロの解釈  407
5 バシレイアの現実性②──パスカルの解釈  413
6 バシレイアの現実性③──ボンヘッファーの解釈  416

あとがき  421

●著者紹介

【鈴村智久】
1986年、大阪府守口市生まれ。
一般企業勤務。
2008年、カトリック教会で洗礼。洗礼名、洗礼者聖ヨハネ。2018年より、カトリック教会の公的信心会「けがれなき聖母の騎士会」会員。
著書に、映画論『ヴィスコンティの美学』(2015)、メイヤスー論『事実論性の展開:思弁的実在論についての試論』(2016)、後期デリダ論『政治的無力:「来たるべき民主主義」批判』(2018)、美術論『死と優美:十八世紀ロココ様式の美学的構造』(2018)など。
小説では、『修道女』(2021)、『十の王冠』(2022)、九名の若手作家によるアンソロジー小説集『蒼の悲劇』(2022)を編著者としてデザインエッグ社より刊行。


※トップ画像
Fra Angelico ≪Saint Dominic Adoring the Crucifixion≫ detail(1441~1442)

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