記事一覧
ゲームという異世界にアクセスすることについて探る (#5)
<#4のつづき>
また出演者も、60分間通じて映っている者と、5秒間強烈な敵役として映っている者、どちらも役作りに長い時間をかけ、体を鍛え、台本を読み込み、一字一句色々な辞書を引いて調べ、そうやって一人の人生を身に付けて、表現しているのだと考えられます。すなわち、製作者にとっては、意図的に作り出したものではなく、偶然の産物をうまく収めて視聴者に伝えている。もしくは、その瞬間を極めて精巧に再現
ゲームという異世界にアクセスすることについて探る (#4)
<#3 つづきです>
他方、現段階で考えられる欠点をあげるならば、切り抜かれていない部分、映り込んでいない部分は、どうとらえるべきなのかということである。
ここで、想像力を働かせるものと、素直に区切られて準備された切り抜きを尊重するかどうかで、理解や見解に差が生まれてくるでしょう。すなわち、最終的には、「真実」あるいは「事実」なのか、それとも「虚偽」、「虚構」なのか、と判断する疑問を生み
ゲームという異世界にアクセスすることについて探る(#3)
Ⅰ.ゲームの世界とプレイヤーの関係をどうとらえるのか
<#2の続き>
できるだけ、本の場合と合わせるように見ていきましょう。
視聴者側の観点に立つと、動画は、一方で、本と同様に、実質的に①始点と終点だけを視聴して結末を知ることができること、②物語の流れを無視し、任意に自由に動画の枠に収められている一枚の切り絵(1フレームの絵、写真というべきか)に自由にアクセスできるという点では同じとこ
ゲームという異世界にアクセスすることについて探る(#2)
Ⅰ.ゲームの世界とプレイヤーの関係をどうとらえるのか
<#1の続き>
読者側の観点から、本は、一方で、実質的に①始点と終点だけを読んで結末を知ることができること、②物語の流れを無視し、任意に自由に本の中の時間=文字・図を辿り、行き来して、自由に本の中の世界にアクセスできるということがあげられます。要するに、限定された空間内では、自在に動くことが可能というように考えることができます。
他
「イヤな感じ」の時に・・・自分に従うのか?
今後、このような記事があるかもしれませんが、よろしくお願いします。
まずは、東日本大震災の影響で亡くなられた方々には心より哀悼の意を表します。
10年前の3月11日、翌々週、雪無し県在住の友人がスノーリゾートに遊びに来るということと、5日後から4日ほど取材旅行に出かける予定もあって、滑走感覚の維持を兼ねてゲレンデの様子を見に行こうと、少し遅めの朝食後、車で100㎞(2~3時間)先の目的
ゲームという異世界にアクセスすることについて探る(#1)
Ⅰ.ゲームの世界をどういったものと捉えるのか
1.「始まり」と「終わり」という関係から
今回は、現段階で考察に必要な観点となる事柄を示しておきたいと思います。
まず、大前提として、すべての事象に言えることを大きく分類して、①「始点(誕生)」、②「一定方向に固定された時間の流れ(運命)」、③「終点(終焉)」の関係があるとしておきます(今回は、運命という言葉を使いましたが、今後違う言葉に
ゲームという異世界にアクセスすることについて探る(#0)
はじめまして。当サイトのオーナー「ヒイロ」といいます。
実名ではなく、自身の誕生日を由来とするペンネームとなります。
今、私たちが置かれている世界の新たな潮流を期に、自分のやりたかった真理の探究を少しづつ始めてみようと思って開設しました。
なぜ、コンピューターゲーム(以下、便宜上「ゲーム」と略称します。)に注目してエッセイを残してゆくことにしたのか。それは、ゲームという仮想現実世界に