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「イヤな感じ」の時に・・・自分に従うのか?

 今後、このような記事があるかもしれませんが、よろしくお願いします。

 まずは、東日本大震災の影響で亡くなられた方々には心より哀悼の意を表します。 

 10年前の3月11日、翌々週、雪無し県在住の友人がスノーリゾートに遊びに来るということと、5日後から4日ほど取材旅行に出かける予定もあって、滑走感覚の維持を兼ねてゲレンデの様子を見に行こうと、少し遅めの朝食後、車で100㎞(2~3時間)先の目的地に向けて出発しました。当時の私は、雪が積もれば2週に一度、年によっては、週に一度くらいのペースでそこ行っていたので、通い慣れた道でした。

 もしかすると自動車による100㎞位の移動距離、大したことないと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、春の兆しが見えているとはいえ、単独で冬期の積雪地の2つ以上の峠を越える100㎞の移動は、常に何かしらのリスク背負っています。ましてや、私は、大雪で交通網が寸断され隣町の友人宅から帰宅不能になった経験があるので、常日頃からかなり神経を使った車の運転をしております。

 ところが、あの日は、気温が割高く、天候も晴れで、路面もすべて乾いているという、移動にはうってつけのストレスの感じない最高の状況でした。しかも、最高のスキー日和だった「はず」です。

 そう、「はず」なのです。

 現地には、到着していません。その日は、全くスキーをしていないのです。その日の自動車の運転は、進行方向にある太陽の照りの強さを身に受けながら、つまり、車内がかなり暑くなっていたのですが、道のりの半分を過ぎた頃に、ふと、イヤな感じとして「今日は暑いし、めんどくさいな」と思ったのです。

 何かしら自分を鍛えている方は、感じたことがあろう、「もう一本頑張れば怪我無くコツをつかめる」という場合と、「これ以上は怪我するリスクが増えて効率が悪い」という場合があると思います。この時の暑さは、後者の感覚と同じだったのです。そして、5日後に取材で出かける予定だったので、怪我したら嫌だなと思い、「今日はやめた、あした出直そう」となりました。

 都合よく、近くによく寄る店舗があって、そこで買い物をして、自宅に引き返しました。帰宅して昼食をとり、資料の整理など始めたら、あの揺れが起こったわけです。この時の津波警戒区域にはなりませんでしたが、当時は、どうしても海沿いの道を通る必要があったので、なおのこと安心感に見舞われたことがあります。この時以前から、嫌悪感を感じたら、よほどのことがない限り中止をするか、中止が不可能ならば最悪の事態をどう避けるか考えながら行動しています。マイペースといえばそうなのかもしれませんが、似たようなケースで難を逃れ、無理した時はひどい目に遭うこともありました。確かに、リスク回避を講じることができるとき、「イヤな感じ」がないときには、多少の変更があれども、最終目的を達成することが出来ています。けれども、逆にどんなに完璧であると思っても、少なからず「イヤな感じ」があれば、実行しなかったりします。

 こういったことを、何度も経験しているので、私の場合は、「イヤな感じ」があるときは、引き下がる、中止する傾向になっていますが、結局のところ、自分を信じることができるのか、というところに尽きないのかもしれません。でも、もしも身の回りに、長老的な知恵袋の方がいらっしゃって、その方から色々なことを伝達されているのであれば、それが、良い判断材料となるのだとも思います。現代社会では、接触の機会が少なかったり、老害といってはねのけてしまう人もいるかもしれません。このような時代だからこそ、ネットの掲示板による保存、有効性というものに注目すべきかもしれませんが、真実と信用性をどのように担保するのかが、しばらくの課題なのかもしれません。

 今回は、どこか、思いつき的な記事となりましたが、長老たちが伝えるあろう伝統を風化させないことが「イヤな感じ」の判断に一役買うのではないかと思います。つまり、伝承される「地域のことば」を守ることが己に従う根拠になるのかもしれません。もしかすると、ゲームという仮想と思われる異世界に反映して、多くの人が共有することが可能かもしれません。

  



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