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「退屈」は人類にとって最大の苦痛|『暇と退屈の倫理学』を読んで

こんにちは、Bean to Barチョコレート「AFKy」のすけです。

2023年読んで1番良かった本『暇と退屈の倫理学』のご紹介です。

2011年出版ですが、SNSやYouTube全盛期の今の時代こそ読まれるべき本だと感じました。現代人の日々のモヤモヤを上手く言語化してくれているように感じます。

また、この本を読んでAFKyで人々に提供したいワクワクは何を解決しているのか?の解像度が高くなりました。

このnoteを読んでほしい人

その日人類は思い出した ヤツら(退屈)に支配されていた恐怖を… 鳥籠の中に囚われていた屈辱を……

読むまで深く考えてこなかったのですが、退屈って人間の根源的欲求なのですね。この世は巨人ではなく、退屈に支配されているのだなと感じました。よって自分ヒトです〜っていう方は読むといいのではないでしょうか!

真面目に書くと、

  1. 日常生活をしていて感じるモヤモヤの正体を知りたい方

  2. マーケターとして深いインサイトを知りたい方

におすすめです。2は人の根源的な欲求を知ることでマーケティングに活かせるなと読んでいて感じたからです。

暇と退屈は違う

本論に入る前に暇と退屈の違いを考えたいと思います。似ているが微妙に違う2つの言葉。

考えてみると、「暇だから退屈」は漏れなく起こり得ますが、「退屈だから暇」とは限らないです。
例えば、「この単調な作業は退屈。。」とか「大学の講義が退屈。。」ってことありますよね?つまり、何かをしている(暇でない)が退屈であるということです。

暇とは何もやることのない時間・状態のことを指しています。一方で退屈とは、人の感情です。

なので、何かしていても退屈な状態ってあり得るんですよね。
暇と退屈。何となく使っていましたが、確かに使われ方が違います。

退屈とは皆が感じたことのある、あのモヤモヤ

さて、退屈ってどんな感情なのでしょう?
少なくとも何もしない時間にだけ発生する感情ではなさそうです。

暇と退屈の倫理学』ではハイデガーの分析から色々と述べているのですが、全て説明すると長いので、「何となく物足りなく感じる心のモヤモヤ」としておきましょう。

  • 1日仕事頑張って疲れたけど、このまま1日終わらせたくないなぁと感じている気持ち

  • 友人のホームパーティーに来たは良いけど、なぜか心の底から楽しめてないなぁという気持ち

などなどです笑

人間が本能的に退屈を苦痛に感じる理由

それでは本題です。

退屈な時間って苦痛ですよね。。忙しいは忙しいでつらいですが、退屈な方がつらいという方の方が多いのではないでしょうか?

ではなぜ人は退屈を苦痛に感じるのでしょうか?

本書によると、人類は定住生活をしている期間より、狩猟などをして移動し続ける生活(遊動生活)をしている期間の方が圧倒的に長いからだそうです。

定住生活を始めたのは一万年前。一方で人類が生まれたのは400万年前と言われています。つまりまだまだ人類の脳には遊動生活が染み付いてしまっているのです。

定住すると変化が少なくなるのは当然です。変化が少なくなると刺激が減ります。刺激が減ると退屈が生まれます。そして、この退屈な状態が発生したのはたかが1万年しか経験していないので、退屈は人類にとって全く自然な状態ではない訳ですね。よって、人間は退屈を苦痛と感じます。

退屈しのぎは生存欲求より強い

さらっと刺激が減ると退屈だと述べましたが、退屈ってそもそも何なのでしょうか?
この問いは退屈の反対の状態を考えてみるとわかります。

熱中はポジティブとは限らない

ネットや辞書で「退屈」の対義語を調べると「熱中」と出てきます。
何かに熱中している人って素敵ですよね。でも、もう少し熱中を考えると、熱中の対象が素晴らしいことばかりとは限りません。

お金をかけないギャンブルは楽しいか?

退屈に対する熱中は、気晴らしができるものでしょう。青春時代に汗する部活動も、大きな夢を叶えるための起業もある種人生の気晴らしと言えます。

では気晴らしは自分にとって得すること・ポジティブなことばかりと言えるでしょうか?

答えはNoです。

気晴らしが熱中できるものであるためには、お金を失う危険があるとか、何かしら苦しい経験の先に得られるものでなければなりません。簡単にクリアできるゲームではいけない訳です。

そして、極論を言ってしまえば「退屈だから戦場に行く」もあり得る話です。正しいか正しくないかは抜きにして、今も昔も起こっているでしょう。

つまり、熱中は「死」という人間にとって最も避けたいように考えられる事象すら、選んでしまうこともあるのです。

まさに、退屈しのぎは生存欲求より強いと言えるでしょう。

幸福度UPの鍵は退屈からの解放

「金銭的・物質的な豊かさは、幸福度に直結しない」という論調を色んな所で見かけます。一方で幸福との相関性が高いものを教えてくれる人は見かけません。

しかし、退屈からの解放は人間にとって非常に根源的な欲求であり、解決されれば幸福を感じやすくなりそうな気がします。

実際に物質的に豊かではなく、生命の危機が近そうな狩猟民族や大昔の人たちでも、現代人より幸福度は高いことがあるかと思います。それは生きるのに必死で、退屈を感じる時間が少ないからと言えるでしょう。

SNSは退屈解放ツール

さて、退屈から解放されれば人類は幸せになれそうなことが分かりました。では具体的にどうすれば退屈から解放されるのでしょうか?

暇と退屈の倫理学』には記載されていないのですが、現代で最も退屈しのぎのニーズを捉えているのがSNSやYouTubeなんだろうなあと考えています。

SNSって最近生まれたサービスなのにマーケットサイズが超巨大ですよね。一見誰かの課題を解決している訳でもないのに、すごくないですか?僕にはなんでMetaやTikTokがこんなに儲かっているのか理解できていませんでした。

疲れた時に見てしまうSNS

承認欲求が〜とか、人との繋がりが〜とかSNSの提供価値を様々な人が解説していますが、SNSの儲けの源泉は広告です。なぜ広告フィーを得られるかというと見ている人が多いからです。

ではなぜ人はSNSを見るのでしょうか?

僕は夜疲れた時によくYouTubeやSNSを見てしまいます。お風呂に入るとか、歯を磨くとか他にやることがあるにも関わらずです。めっちゃ眠いのに夜遅くまで見てしまうこともあります。

そして見終わってから、いや見ている最中もですがめっちゃ後悔しますw

無駄な時間を過ごしたなと。

SNSは一生退屈しのぎにならない

個人的に好きなnoteクリエイターの紺さんが、以下のようなことを書かれていました。

Twitterを開いても、特別面白いことが起きるわけではない。脳が疲れるだけだと分かっているのに、そこに何かがあるのではないかと淡い期待を抱いて、タイムラインを見に行ってしまう。何かが得られるまで満足できないから、結局無為な時間を過ごすことになる。

退屈な脳を慰める

疲れている時って、やるべき事をやる元気がないのに、ものすごく退屈を感じやすいんですよね。そうすると、エネルギーを使わずに退屈しのぎができそうなSNSやショート動画(YouTube)に行き着いてしまう。

ところが、SNSやショート動画は見ても大体何も得られないので、本質的には退屈しのぎにはならないのです。

つまり、退屈しのぎを物凄く期待させるのに、一生退屈しのぎさせてくれないのがSNSやショート動画なのですよね。その結果、人々はスマボの画面をずっと見続けることになります。

うーむ、完璧すぎるビジネスモデルや。。(褒めてない)


クリエイティビティが幸福度を向上させるワケ

偉そうにSNS批判をしたところで、本当の意味で退屈から逃れる方法を考えましょう。本書では色々と述べられているのですが、究極的には「クリエイティブであれ」ということだと僕は解釈しています。

退屈の悪循環から逃れる

人が最も不幸なのは、退屈から逃れたいのに、逆に退屈さを増してしまうことです。

気晴らしをすればするほど退屈が増す構造は、まさに麻薬と同じです。これだけは避けなければなりません。

「苦」を受け入れる

勉強や創作活動は時に苦しいものです。頑張っても理解できないことや、意図したものができなことが往々にしてあるからです。

しかし、退屈はもっと苦しいもの。下手をすると戦場に向かってしまうこともあります。

ネガティブな熱中を避ける方法はクリエイティブな活動です。月並みな結論に至っていますが、本当の意味で人生を充実させてくれるような創作活動は、人生を幸福にしてくれます。

クリエイティブな活動は物作りだけではない

人は幸せになるために、皆絵を描いたり、彫刻を掘ったりしないといけないのでしょうか?

そんなことはありません。
新しいアイデアを考えることもクリエイティブな活動だと言えるでしょう。

新しい考えが閃いて、何か物凄く気持ちよくなった経験は誰しもあるのではないでしょうか?社会的に大きなイノベーションを起こすアイデアを閃いた時はもちろん、小さな日常的な気付きを言語化できた時や、ちょっとした悩みの解決策を思いついた時も、大きな幸福を感じられます。

シャワーやトイレはクリエイティブな活動

新しいアイデアが閃くのはどんな時でしょうか?
シャワーを浴びている時やトイレに閉じこもっているときに、急にナイスアイデアが閃くことがあります。急にクリエイティブになれます。

悩みから離れることが大切なワケ

以前、「IT企業の企画屋さんの僕がチョコレートブランドを始めた理由」で「良い企画は悩みから離れた、ふとした瞬間に生まれる」と書きました。クリエイティブであるためには、ずっと考え、悩み続けてはいけないということです。

考えや悩みから離れることは、意外と難しいものです。僕は散歩をしたりするのですが、何だかんだ歩きながら考えてしまうこともあります笑

深みのある活動は悩みから離れることができる

お酒やコーヒー、タバコなど趣味性の高い嗜好品が本領発揮するのが、まさに悩みから離れる時です。深みのある世界なので、それを学んだり、五感で感じたりする活動そのものがクリエイティブですし、考えや悩みから強制的に離れることができます。

偉い人ほどワインに詳しかったりするのは、悩みから解放する方法(ワインを学ぶ)を把握しているからなのかなと思ったりしてきます。

AFKyでクリエイティブ溢れる世界にしたい

AFKyの商品はBean to Barチョコレートですが、本当にやりたいことは、まさにこのクリエイティブな活動です。

Bean to Barという奥深い世界を知ってもらうことで、人々のクリエイティビティを解放したいと強く願っています。

「Away From Keyboard」を提供できた方々自身がクリエイティブで幸せになってもらうのはもちろん、その方々が起こしたクリエイティブな活動がこの世をもっと面白くして、世界中の人々が幸せになる世界を作ることこそAFKyのミッションなのです。

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