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文章術のセミナーを受講して

※この記事は3分で読めます


こんにちは、エアロです。


皆さんに1つ質問があります。

皆さんが、noteを始めたきっかけ/目的は何でしょうか?



私は「文章力の向上」が目的の1つでした。

仕事上のメールや書類作成とは別次元で、自分の思いをオリジナルの言葉・リズム・言い回しで表現して発表できる世界に憧れがありました。

趣味で「大喜利」をやっておりますが、これはあくまで「お題」に対して「回答」を考えるにすぎず、通常の「回答」であれば、そこまで長文になる事はありません。

つまりは、長文を書いても飽きさせない、様々な角度からの深い考察を経て魅力的に感じる文章を書ける方になりたいな~という憧れがスタート地点でした。


そんな思いで今年4月からnoteを始めて2か月以上経ちますが、我流には限界があるなと感じました。

つい他の方の書評と内容・質・PV・コメント数などを比較してしまったり、TTPS(徹底的にパクる)よろしく誰かの型を模倣しようとしては「オリジナルでは無いな~」と悩みが続いていました。


そんな中で、

昨日の夜ですが、初めてnoteのオンラインセミナーに参加しました。

文筆家/書評家の三宅香帆さんによる「”推し”の魅力を伝える文章の書き方講座」です。

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「文章術」のセミナーだったのですが、沢山の学びを得ることができました。

内容を全て書いてしまうのは味気ないので、印象に残った内容と話を1つずつ紹介します。


1番心に残った内容は「フェチの部分を全力で書く」という事です。


無難な感想文であれば、今の時代ならGoogleやアマゾンのレビューで「あらすじ」含めて簡単に読めてしまう訳です。

その為、書評や感想文などの始めに、前フリとして懇切丁寧に「あらすじ」を多く書いたとしても、本題に入る前に飽きられる、若しくは無個性のレビューになってしまうのです。

その書評を読ませることで、「あらすじ」を読みたくなるような内容にした方が良いとの事でした。

過去の私の『読書感想文』を見返すと、内容の要約に注力し、個人として何処に凄い惹かれ、どう行動を変えてどう意識が変わったか等のオリジナルの部分が薄かったな~と反省しています。

勝手な親切心なのか、「よく読んだぞ」というアピールの為なのか、その本を読んでいない方も理解できるように/この感想文を読めば内容が頭に入るようにと、要約にかなり注力していた自分が居ました。

感想文≠要約文/あらすじ であると認識を改め、自分なりにフェチ/コアな部分をオープンにして書くように意識して取り組んでまいります。



また、講演の中で「非常に共感した話」がありました。

それは『何かに感動した後に、感想レビューを読んでしまうと、読んでいるうちに自分オリジナルとして持っていた感想を忘れてしまう』です。


確かに私も、映画を見た後に喫茶店とかで「あのシーンを他の観客はどのように解釈したんだろう?」と考察が気になってレビューを読み漁ってしまう癖がありました。

その中で、酷評するレビューも何件も読んでしまう内に、次第に熱が冷めてしまうのです。さっきまで「面白い」と思っていたものが、「それ程でもなかったよね」と変化して、そこから良い方向に感情が戻る事はありません。

「作品としての力」で、自分の感情が「つまらない」というところに結論付けた/着地したのではなく、赤の他人の酷評レビューの力によって、自分が本来持っていたオリジナルの感情の着地地点から動かされてしまった、という事ですよね。

こういった経験があったため、この言葉は非常に腑に落ちました。

誰か友達と感想を言い合うなら分かりますが、匿名の誰かの意見に、自分の意見や感情が、簡単に塗り変わってしまうのは大変つまらないことであるなと改めて気付けました。


あらすじとか概要の説明をクドクドとしたり、他人はこう読んだとレビューを参考にし過ぎて自分の感情・熱量を失わないように気を付けながら、今後の読書感想文に取り組みたいと、決意を新たに出来た、受講出来て良かったセミナーでした。

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