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【閲覧注意】被害者意識は自己中心性に変わっていく

わざと同情を誘ったり、罪悪感を感じさせるような言動や態度を取る人は、あなたを都合良く利用したいだけであってあなたのことを本気で大切にしてはいません。

このタイプの人は俗に言う毒親によくいるタイプでして、毒親育ちにも頻繁に見られます。

その他にも愚痴ばかり言ってる人や、やたらと弱音ばかり吐いては注目を集めようとしているところも特徴です。

自分の辛かった過去のことを少し仲良くなっただけで暴露したり、自分の悪いところを聞かれてもないし必要もないのに、わざわざ相手にカミングアウトしてきたりします。

この心理の背景には「自分は未熟だけど可哀想な存在だから、こんな自分でも受け入れてね。多少、嫌なところがあってもそれは私が悪いんじゃなくてあなたが受け入れたのが悪いんだから怒ったりしないでね。もう改善する気はないから」という思いが隠されています。

こういう人とはどんな間柄であれ、搾取されるだけなので距離を取ったりと関係の見直しが必要になります。

あなたの時間・お金・エネルギーがひたすらに吸い取られるばかりで、あなたが何も得られるものはないと断言します。

被害者でいることには利得があるもので、これが中毒になるくらい魅力的だったりするんですよね。

不憫で可哀想な存在であることは、他人に対して不幸自慢ができるので、それだけで特別扱いを受けることができるからです。

被害者意識の強い人は、不幸を武器にして「この世の不幸をすべて自分が背負っている」かのような態度で人生を生きていて、周囲にいる人たちにまるで自分がお前たちの分まで不幸を背負ってやっているのだから、もっと自分を尊重しろと言わんばかりの傍若無人さ、自己中心性を発揮していたりします。

被害者意識のある人からすると「好きで被害者になったわけではないし、不幸を武器にしようとしているつもりもなければ、自慢なんてしてるつもりもないんだ!」という反論があると思いますが、たしかに被害者であることは事実だと思います。

しかし、自覚の有無に関わらず、自分の中で言い訳をしてしまっている状態は客観的に見ると不幸自慢をして、不幸を武器にしてしまっている状態になってしまうんですよね。

心を病んでいる人は「可哀想なわたし」にばかり関心を持っていて、周囲に同情・支援を求めるばかりで、他人への気遣いができていない人が実は多いのです。

苦しみから解放されたいのなら、他人にも関心を持つようにするのです。

自分の悩みや自分が経験したこととまったく同じ悩みや過去を抱えている人はたしかに珍しいものですが、他人の心の苦しみを知ることで自分の苦しみが特別なものではないと知ることができます。

心を病む人は、それほど自分の不幸・不遇のことしか考えないから病んでしまっていることが多いのです。

残念ながら、あなただけが苦しいのではなく、他にも同じように苦しんでいる人はたくさんいるのです。

この言葉はとても重たく、冷たいものに感じられるかもしれませんが、自分と向き合う為にとっても大切な視点なので本記事にて書かせて頂きました。

「他人に振り回されて、搾取され続けてきたから病んでいるんだ!」と反論を頂きそうですが、たしかに巧みにあなたのことを陥れた人もいたと思いますが、あなたが嫌われたくないとか、不利益を被りたくないという個人的な理由で断れなかったことによる結果ではありませんでしたか?

嫌われたくないという気持ちは、自分が嫌な思いをしたくないという目的があるだけで相手を思い遣っていることとは別物になってしまいます。

たしかに被害者は同情されるべき存在ではありますが、そこに甘えてばかりではいけませんし、被害者ポジションにいても成長することはできません。

優しくされることは感謝すべきことであって、当たり前なことではありません。

自分は尊重されて当たり前、優しくされて当たり前だという傲慢さを持ってしまうと、人が離れていってしまいます。

幸せになりたいのなら、どこかで被害者意識を捨てて、未熟な自分を卒業する覚悟を決める必要があります。

どんな過去を経験してきていようと、それは今の自分の周りにいる人たちには何の関係もないことですし、冷たい言い方ではありますが知ったことではありませんからね。

最後に、被害者意識が強い人が意識するべき3つの改善点をご紹介します。

・過去にどれほど大きな心の傷を負ったとしても、現在の行動に対する責任は自分にある

過去に自分を苦しめた人に責任転嫁することはできない。どんな心の傷を負っていようと、障害があろうと、それは許されない。特別扱いを求めるなら、そういう自分でも受け入れてくれる場所で甘んじて生きていくしかないのです。

・いくら善良な被害者であるとはいえ、他者に害を及ぼすような行動や言動は許されない

そもそも、今の目の前にいる人たちは、自分を過去に苦しめた人たちとは無関係なのですから、無関係な人たちを巻き込んではならない。

・自己犠牲は搾取されている訳ではない。

自分の時間や労力を犠牲にして、損をすることをいとわずに他者に貢献することは搾取されている訳ではありません。損をしたくないとばかり考えていたら、何の温かみもない無味乾燥とした利害得失を軸とした人生を生きることになります。もし、搾取されていると感じるということは、本心からの貢献心ではなく見捨てられたくないとか、強制されているだけなのですぐにやめてください。

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