【全文公開】自分の存在価値が無いように思うのなら、これを読んでください
あなたは生きているだけで価値がある
あなたは生きているだけで価値があるのですから、自分と他人を比べる必要なんてないのです。
「お前に価値は無い」なんてことを言われたとしても、それはその人の自分勝手な主観であって、その人の自信のなさをあなたに投影して八つ当たりしているに過ぎませんので気にしなくていい。本当に自信のある人は他人をこき下ろしたりしない。
嫌われてたところで、それは一部の人間が自分を嫌っているだけなのですから、自分の価値を疑う必要は一切ありませんよ。
たとえ多くの人に嫌われたとしても、それはあなたの価値観とは合わない人達がそこに多かったというだけのことです。
他人の評価をもとにして、自分の価値を決める必要なんてありません。
嫌われても、それは他人から見た自分の一側面に否定的な意見を持たれたに過ぎない。自分そのものを否定された訳ではないのですから。
嫌われたっていい
どうせ誰にも嫌われない生き方なんてできやしないのです。
どうせなら、自分らしく生きてしまえばいい。
誰にどれだけ嫌われようと、何人の人に嫌われようと、あなたの価値はあなた自身が決めることですよ。
あなたの価値は絶対的なものであって、他人との比較や他者評価で決まるものではない。
自分の価値を疑う必要はありません、なぜならその価値は万人平等だからです。
絶対的な価値と相対的な価値とは
絶対的な価値と相対的な価値があります。
簡単に言うと絶対的な存在価値というのは生まれ持ってすべての人間が持っている価値です。
相対的な存在価値というのは、特定の集団の中における局所的な優位性のことであり、他人との比較の中で決まります。
職人の世界で例えるのなら、技術力の高い職人さん、マネジメント能力の高い職人さんはその職人の集まる組織や集団の中では頼りにされますし、相対的に存在価値が高いと周囲の人たちや上司などの上の人からも評価されて待遇や扱われ方も変わってくるのです。
この世界観の中での存在価値は相対的に決まるので相対的な存在価値と言えるでしょう。
また、絶対的な価値というものは生まれながらに誰しもが持っているものであり、他人との比較の中で周囲の人たちや立場が上の人間に決められる筋合いのない存在価値と言えます。
つまり、家庭、学校、会社などの特定の組織でどれだけダメ出しされようと、冷遇されていようと、あなたの絶対的な存在価値というものは揺るぎないものになります。
もし、自分で自分の人間としての絶対的な存在価値を疑ってしまうとするのなら、それはあなたが他人からの評価を自分で受け入れてしまっているからです。
自分の価値は自分で決める自分の課題
アドラー心理学の課題の分離の考え方で解説すると、他人が自分をどう思い、どう扱ってくるのかは他人が決める他人の課題であって、自分で決める自分の課題ではありません。
自分の絶対的な存在価値なんていうものは、自分で決める自分の課題なのです。
他人からの扱いやかけられた言葉は、自分がそれを受け取るか受け取らないかはもちろんのこと、自分がそれをどう思うのかも自分で決められる自分の課題なのです。
あなたには幸せに生きる権利がある
自分の存在価値については日本国憲法でも「生存権」や「基本的人権」として日本国に住む万人が持つ権利として定められているのですから、疑う必要すらないということはしっかりと認識しておいて頂きたいのです。
もちろん、相対的な自分の価値についてはたとえばあなたが営業マンだったとして、営業成績がその職場の中で平均以下で足を引っ張っているような存在だとすれば、その職場の中では低く評価されてしまいます。
当たり前のような話ですが、ある集団の中での相対的な価値はあなたという人間の絶対的な存在価値とは無関係です。
多くの日本人はこうした他者評価と自分で決める自己評価を混同してしまっていて、他人からの評価次第で自分の価値を自分で決めてしまっている傾向が強いです。
ある集団の中でうまくいかなかったからといっても、それはあなたの存在価値とは無関係な話です。
別の組織に移るなり、個人の力で生きるようにするなり、自分の能力を磨いて今いる集団の中で適応して生きていくなり、生き方は自由です。
自分の存在価値を疑う必要はありませんよ。
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