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『現代手芸考』を読みました。

半年ほど前に『趣味とジェンダー』という本を読んで、幼少期から自然と手に取る遊び道具がジェンダーを決めているということを知りました。

この本の延長線ではないですが、手芸の背景が何となく分かった上でさらに理解を深めれたら、と思って読みました。

感想としては、日本だけでなく世界各地の手芸に対する考えについて知れたことと、手芸をする意味みたいな所についての考えを知れたことが良かったです。特に後者は手芸に留まらず、人生を生きていく上で参考になる考え方でした。

世界の手芸の中でもインドのラバーリーの刺繍は日本に似ている部分が感じられた。彼女らがやっている刺繍は家事の合間に出来た隙間時間を使ったものである。しかし、インドにも日雇い労働が広まり、稼ぎに出ていくとそんな暇は無くなり刺繍をやらなくなっていた。今では、その作業がとても短縮されていっている。けれども、本人たちにとってはどんなに簡単な作業であっても何も作り出せないことのほうが苦痛であり、少しの作業でも完成させることのできるものが生まれたのではないかと考察している。

これを現代日本に置き換えても同じことが言えるのではないかと私は思う。日本でも手芸が広まったのは高度経済成長期である。この時期は家電製品の登場で家事の時間は短くなった。つまり余暇が生まれたのである。しかし、男女平等をスローガンに女性の社会進出が広まったことにより、女性の余暇時間は無くなった。これにより手芸が行われなくなったのではないだろうか。現状を見ても夫婦共働きが一般になりつつあり、余暇ができたとしてもも無数に選択肢のある世の中でもあり手芸が選ばれにくくなっているのでは?と思う。

手芸をする意味という点では、先に挙げた余暇をつぶす目的もある。それ以外にも人を繋げる手段として使われるというのがあります。高度経済成長期の主婦たちは家庭に閉じ込められ孤独感を感じていた。特に団地何かはそうで、飛び降り自殺もあったようだ。こんな時に主婦たちが集会を開き手芸サークルが生まれ、互いに技術を教え合っていた。さらには習得した技術を使って家を装飾し、守るという役割を果たしていた。

東日本大震災が起こり、居場所や仕事を失った人たちにとっても手芸は、行く場所、やるべきことを作り、ものを作ることで自分の存在を確立するアイデンティティに繋がった。なぜ手芸なのかという点では、毎日できることが大切とインタビューで答えた人がいた。こういった集まりは震災でコミュニケーションをとりずらくなった人たちにとっても足がかりにもなった。

手芸を仕事にすることについても書かれていた。

そんな中の嫌われる行為として、ちょっとワークショップで習った程度の人が「〇〇を作りました!」と、売り出すこと。コミュニティとしては自分たちの中に入って認められてから売り出すことは何の問題もない。

買う人にとっても脈絡がない人よりも、現地で学んだ人の方がその商品に対しての説得力・安心感のようなものを感じるという説明もあり、「確かに」と思った。なんでも「まずはやってみよう」という世の中だか、結局、売りに出すことを考えると何かしらの安心感は必要だよな、と思う。

全体を通して、かなりいい本だと感じました。以前に読んだ『趣味とジェンダー』も本書内で引用されている部分があり、繋がってると思ってたものが繋がっていて嬉しかったです。

図書館で借りた本ですが、どこかでもう一度読みたいと思います。


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