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終就活の記録 好きな事ってなんだっけ? 其壱 音楽

ここ最近、白洲正子さんの名言

「好きなことを、何でもいいから一つ、井戸を掘るつもりで、
とことんやるといい」

が年甲斐もなく引っ掛かっている。

54歳と言えば、どちらかというと、
棺桶につま先を突っ込んでいるくらいなので
今更って思う自分と
逆に短い残りの人生をすごすなら?と思う自分といて
後者が8割方優っているのが 現在の心境である。

それは、愛娘の成長で子離れが近い事を感じていたり
あと、今の世の中を見ていると
気候変動に戦争 自民党の化けの皮・・・・
けして、安定した世の中だとは思えなくて
だったら、もう自分を好きに生きてやれと
腹をくくっている感じなのである。

ところが・・・・
いざ 好きな事 となると
え????何だっけ?ってなったわけだ・・・・
ここ1週間ほど考えていた。
音楽? 物書き? 介護?

という訳で、一個ずつ検証してみようと思う。

これは、就活と終活を同時に、じわじわ生き進める記録である。

【音楽】
音楽は好き。
小さいころから、私の周りは割と音楽に溢れていたかもしれない。
幼少期、母子家庭だった私は、祖父母の家に預けられていた。
大好きな祖母は、お歌いや三味線を趣味にしていて、
人の前で発表する事もあった。
私も連れられて、舞台で踊りおひねりを貰った記憶がある。

凄く小さかったのに覚えているのは
アドレナリンでも出たからなのかもしれないな。

祖母は私をおんぶする時いつも
♪みなぱっちのためならえ~んやこら~♪と歌っていた。
年をとって孫の世話、おんぶするなんて重労働だったはず。。
ヨイトマケの歌をちゃんと聴いたのは、ずっと大人になってからである。

子ども用の三味線も買ってもらってチラッと弾いていた記憶がある。
三味線より太鼓に興味があったのも記憶にある。
(残念ながら母が誤って三味線を折ってしまったけれど)

母は歌が得意だった。
ずっと母が学生時代独唱で歌った話を聞かされていた。
私の歌は「おんち~」といつも言われていた。音痴と言う自覚もあるw

母に引き取られてからは、母がやっていたスナックにたまに
遊びに行っていた。ジュークボックスで山本リンダをかけてもらい
踊るのが好きだった。夜は大体一人だったから母が仕事に行く
時にレコードを鳴らしてくれていた気がする。
その後、母が再婚してからも、
義理の父はしばらく趣味でバンドをやっていたし
母も歌を歌っていてその写真が飾ってあった記憶がある。

けれど家族の中で孤独を感じる事は結構あった・・・
いつの時代も音楽があったから 
ずっと救われていたと確信している。

こう書いてみて思う。
好きかと言うと違うのかもしれない。
なんというか。
無くては生きてこれなかった自助具のようなモノだ。

音楽は好きな事でもないし、掘り下げて仕事にできるスキルもない。
好きな事って案外 曖昧な言葉なのかもしれない。

今日はこの辺で・・・・2023/11/25