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#8. 「真実の口」に手を入れると、手がなくなるという都市伝説が教えてくれること 〜真実の追求、自分探しの意味〜

「これは本当の自分じゃない」と、人間には自分探しをするクセがあります。でも「本当の自分」や「真実」を追い求めるよりも、「真実が、あなたの役に立つかどうか」が大事かも、というお話です。

たくさんの真実

「結局、何が本当なの?」、「いろんな情報が流れていて、何を基準にどう判断すればいいのか、分からなくなてきた」。こんな漠然とした想いを抱えて、日常生活を送ることはありませんか。

こんなとき、「真実は、どれだ?」と、真実はただ一つのように思っていませんか? でも、本当に真実は唯一なのでしょうか? 実験してみましょう。

下の立体を平面的に描くとしたら、どんな形ですか?

側面から見れば三角形、上下から見れば円です。三角形でもあるし、円でもある。角度によっては長方形もありうる。どれも正解。そう、真実は多面体なのです。

だから、唯一の真実を追い求めても、迷宮に迷い込むだけかもしれません。「真実の口」に手を入れても、痛い思いをして、手がなくなってしまうだけなのです。

真実は、どうして多面的なのか?

この問いに、あなたならどう答えますか?「世の中は複雑だから」、「人によって見方が違うから」。これも、一つの答え(真実)ですね。

ここで「文脈が変われば真実も変わる」という考え方をご紹介します(Hayes et al., 2012)。(ん、なんだ?)

2人の建築士の友人に、家の構造がわかるものを依頼したとしましょう。一人は設計図を持ってきました。これを見れば、面積や間取りなどが分かりますね。

もう一人は、家の外観のわかる絵を持ってきました。建物が、どんなデザインの建築で、何色なのか分かりますね。

この時点で、どちらも真実ですね。どちらが正しいという議論には意味がないです。どちらも構造がわかりますから。

でも、もしあなたが、新築マイホームの購入を検討していて、家の部屋の大きさや使い勝手を知りたいとしたら、求めていたものは設計図でしょう。

そうではなくて、建築士の友人の家に遊びに行くとき、友人宅を見つけるのに必要だということなら、外観のわかるもので十分ですよね。

つまり、求めている真実が何かは、その時の文脈で変わってしまいます。

「本当の自分探し」の危うさ

多面的で文脈で変わる真実は、「自分はこういう人間」だという自己概念にも当てはまります。

家族といるときの私、仕事や学校に行っているときの私、一人の時間を楽しんでいるときの私。文脈によって、自分の見せる顔を、自然と使い分けていませんか? 

でも、どれも本当の自分なのです。「一人の時間のときが本当の自分で、それ以外は本当ではない」と思う必要はありませんよね。真実と同じで、文脈で変わる多面性があります。

よく、性格検査(心理テスト)で「本当の自分探し」ができると思う方がいます。でも心理テストは、私たちが社会的に望ましい態度・行動をとることも考えて、精巧に作られています。

真実は、役立てるもの

では、多面体の真実や自分自身に、どうつきあえばいいのか? 一つの答えに、「役に立つなら使えばいい、役に立たないなら置いておけばいい」という視点があります(Hayes et al., 2012)。

「私は太っている」という真実・自己概念があったとします。明らかに平均体重よりも多いし、太っていると自覚しているとします。

その真実が、「太っているから、健康的に痩せよう」とか「太っているから、人気者なのだ」というふうに、ポジティブな生き方に役に立つなら、持っていれば良い。「太っているから、人生で成功しないんだ」と、ネガティブな方向にしか働かないなら、否定も肯定もせずにそっと置いておく。

あなたにとって、役に立つ真実、役に立たない真実は何ですか?

PS. 記事に関連する個人的なエピソード、ご意見・ご感想をお待ちしています。

--本記事のイラストは、freepikよりライセンスを取得済みのものです--

Hayes, S. C., Strosahl, K., & Wilson, K. G., (2012). Acceptance and Commitment Therapy: The Process and Practice of Mindfulness Change (2nd ed). New York: The Guilford Press.

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